
「潰瘍性大腸炎手記」
匿名希望 18歳 2012年9月27日
1)潰瘍性大腸炎の発症
僕が潰瘍性大腸炎を発症したのは高校一年生の12月初めでした。僕の進学した高校は僕の住んでいるところの公立で三本指に入る進学校で、部活と行事と勉強で忙しいことで有名な高校でした。僕はここで部活・行事・勉強を両立させて頑張ろうと期待に胸ふくらませ入学しましたが、その頑張りが反対に自分を追いつめた結果が12月初めにやってきました。あまりの忙しさで自分が何をしているかわからない状態でストレスが極限状態でした。また、自分がとても生きがいをもってやっていた和太鼓も忙しさゆえに行けなくなり落ち込んでいました。この時ストレスに対抗しようと自分の副腎からステロイドホルモンを出し続け、免疫の細胞の中に直接入っていき、ステロイドがDNAの転写酵素に影響を与え、遺伝子の発現を変えて逆クラススイッチしてしまったのでしょう。まさに自分で自分を傷つけていました。そして外出先でおなかが痛くなりトイレに駆け込むと、トイレが血の海という状況でした。そして二つ掛け持ちしていた部活の一つはやめ、一つは休部状態となりました。
2)肛門科の受診
初めは自分の体に何が起きているのか全く分からず、パソコンで「腸出血」などと調べると、癌とかいう怖い言葉が書かれていたのでもう自分は死ぬのかなどと思いました。また両親にも一週間何も言えないままでした。一週間後両親に勇気をもって話してみると「痔かもしれない。」ということで、市販の痔薬を両親に買ってもらい使いました。しかし出血はいっこうに収まらず、肛門科を受診したところ、いぼ痔だと診断され、強力ポステリザン軟膏(ヒドロコルチゾン2.5mg含有)を処方してもらいましたが、それでもいっこうに出血はおさまりませんでした。 そして2010年3月終わりごろ、肛門科の先生から、「直腸の奥にびらんのようなものがある。潰瘍性大腸炎かクローン病の可能性があるから、大腸内視鏡検査をしたほうがいい。うまい先生を紹介してあげます。」と言われたので、検査を受けることにしました。
3)潰瘍性大腸炎と診断される
初めての大腸内視鏡検査はかなり緊張したことを覚えています。まず下剤を2Lのみ、そして消化管をきれいにした後、お尻からカメラを入れました。内視鏡はうまい先生で、回盲部に空気を入れながら到達した後、戻しながら直腸のあたりに到達したところで、腸がただれたようになっていました。そこの細胞を取り、終わりました。そこで内視鏡の先生に言われたことは、次のようなものだったと思います。「おそらく潰瘍性大腸炎の直腸型でしょう。今のところ治す方法がない病気です。対症療法が主な治療で、軽度の時はペンタサ、ひどいときはステロイド、あとレミケードという新薬を使います。ですが薬価が高いので、難病申請をしてもらうことに…」あとは覚えていません。その先生に近くの消化器専門病院を紹介してもらいました。ここで潰瘍性大腸炎の治療というものを受けることになりました。
4)消化器専門病院での治療&一度目の寛解
僕は家で潰瘍性大腸炎についていろいろインターネットで調べました。 この時に松本医院の事を探し当てられたら良かったのですが。Wikipediaを一番読んだと思います。そして消化器専門病院で僕の一人目の担当医による治療が始まりました。一人目の担当医は優しい人でした。難病申請も無事通り、 最初に処方されたのはペンタサ錠3錠でした。それを家に帰って飲みました。すると出血が止まったのです。僕は素直にうれしかったです。そしてこのようなことを言われました。「この病気は将来大腸がんになる可能性が高い。だから今からペンタサを継続的に飲んで炎症を抑えていったほうがよい。中にはなるべく薬は飲まないという人もいるけど。」といわれました。無知な僕はそれを素直に受け入れました。こんな感じで2010年の終わりまではペンタサ3錠でした。また、この病気の治療はこれが一番なのだと思い込んでいました。そして、 自分もこの先生のようにお医者さんになりたいと思うようになりました。
5)初めての再燃とステロイド
しかし寒くなってきた2011年1月ごろ、また出血が始まったのです。そしてペンタサの量も9錠に増えてきました。ペンタサ注腸も使いました。しかし一度悪くなってしまうと、何をしてもだめでした。そしてついに、2月の終わりごろ、自分のほうから、「ステロイドは使っちゃだめなのですか。」と聞きました。そしてこういわれました。「使ってみます?」今思えばこの先生はステロイドを処方するという責任から逃れていたのでしょう。僕に決定を任せてきました。そしてプレドニゾロン20mgから処方されました。しかし自分はWikipediaでステロイドの事はかなり調べていて、副作用も自分にとっては、いや、他の人にとっても嫌なものばかりでした。それにプレドニンを飲んでいる人の2chの掲示板を見ると、みんな副作用でもういやだとかいろいろ書いていたので、もらったのにもかかわらず、しばらく飲む勇気がわきませんでした。しかしプレドニンをもらってから2日後くらいに、出血が収まらないのでついに手を出してしまいました。初めて飲んだ時「副作用覚悟しなきゃな。」と思いました。そしてプレドニゾロンをのんだ2日後、出血はなくなりました。ぼくは早くステロイドから離脱したかったので、先生に無理を言いかなり速いペースで減量し、 3月の終わりには5mgになっていました。しかし1人目の先生が開業するということで、4月ごろから違う先生の担当になることになりました。
6)消化器専門病院を離れる
しかし二人目の先生はなんだか冷たく、ステロイドももう少し飲んだほうがいいと言われたので、この病院からは離れることにしました。なんだかこの先生は医療をビジネスとしか見ていない感じがして、生理的に嫌でした。 母親も嫌だったらしく、もういかないことにしました。
7)町医者での治療、そして二度目の寛解
このころは高校三年生になり、進路決定の時期だったので、医学部を目指そうと思っていました。そこで理系科目は化学と生物を選択しました。(ここで生物を選択していたのは幸運でした。松本先生の理論の理解がスムーズにいきました。)また次のかかりつけ医を探していたところ、IBD治療で有名な開業医の人が家の近くにいると分かったので、ここに行こうと母親と決めました。その三人目の先生は大学病院、大学関連病院の先生とは違ってユーモアと人間味のある人でした。IBDの人でC〇JAPANを読んでいる方ならお分かりかと思います。ここで今までずっと服用してきたペンタサを大腸まで届くように改良されたアサコールに変えることにしました。そうすると、少しまだ残っていた出血が収まりました。ステロイドからも離脱しました。そして寛解に至りました
8)高校生活最後の文化祭と二度目の再燃への燻り
僕の高校は文化祭で有名で寛解した5月ごろから普通に日常生活を送れるようになってきたので、文化祭の外装チーフをやることにしました。三人目の先生はアサコールも調子がいい時は徐々に減らしていくという方針でした。 僕が薬を飲み忘れていることを言うと、「僕はそんな感じでいいと思うよ、大声では言えないけどね。患者さんは教科書どおりじゃないから。」といわれました。そして一生懸命まとめ役として計画を練り、設計し、7月の終わりくらいから作業で木を切ったり、アクリル板を切ったりなど作業を開始し、ぎりぎりに完成しそして9月に本番を迎え、文化祭は終わりました。終わった後チーフという重圧から解放されたからか、これから受験勉強をしなくてはいけないというプレッシャーからか、しばらくして便に血が付き始めました。
9)二度目の再燃と悪くなるばかりの病状、二度目の内視鏡
便に血が付き始めてから、どんどん血の量は増えていき、今までと違うのが強い腹痛でした。便も下痢になり、寒気がするたびにどんどん悪くなっていきました。学校にも普通に行けなくなってきました。アサコールの量を増やしてもどうにもなりません。そして先生から「ちょっと内視鏡で見てみたいね。」といわれ、10月の最後の辺に内視鏡をうけました。するともう大腸はボコボコで、やけどしたみたいになっていました。毛細血管はズタズタになっていて、しかも炎症は回盲部まで達し、小腸のほうにも少し炎症がありました。内視鏡の途中に「クローン病ですか。」と聞くと「まだわからない。」といわれました。 母親も一緒に最後のほうは見ました。そして全部見終わった後こういわれました。「潰瘍性大腸炎の全型で間違いないと思います。」そして内視鏡室でしばらくおなかにたまった空気を抜いて休んだ後に、先生の診察がありました。もう僕はステロイドしかないと思っていたので先生に「ステロイドですか…?」と聞いたところ「嫌だ!」と大声で言われました。またこういわれました。「僕は町の小さな医者だから大きな病院にあるような治療機器はない。白血球除去療法(LCAP)とか顆粒球除去療法(GCAP)っていう副作用の少ない治療を勧めたい。(僕の名前)くんのような病状だと僕のところでは担当できないから、大学病院を紹介するね。」と言われました。この先生はいつもユーモアたっぷりで好きだったので離れるのはさびしい思いがありました。
10)大学病院での治療、初めての入院
紹介された先の大学病院で四人目の先生の初診を受けました。そこで紹介状に同封されていた大腸の写真を見て「少しクローン病みたいな所見がありますね。患者さんの10%程にまれに潰瘍性大腸炎とクローン病が混在する場合があるのですよ。」と言われました。また、僕から顆粒球除去療法(GCAP)をやりたいと伝えると、「ステロイドと併用してやると早く治りますし、減量できますよ。」といわれました。しかし前の先生の「嫌だ!」を思い出すと、ステロイドを使う気にはなれませんでした。そこで初診の次週11月の初めからGCAPだけをやることになりました。そしてGCAPを初めて受けました。しかし想像していたものとは違いました。まず腕に針を刺すのですが針が太いので生々しい痛みでした。それでも初めてのGCAPは無事に終わり、家路につきました。しかしこのころは食欲もなく家でおなかをおさえて寝るくらいしかできませんでした。 また手足の冷えも尋常ではありませんでした。そして次の再診のとき、CRPも貧血もどれも悪かったので絶食治療と入院を勧められました。僕と父親はよく考えた後入院することに決めました。その日の夜から点滴とGCAP週2の入院治療を始めました。GCAPも辛いものでしたが、絶食も辛いものでした。このころなんとなく医者になるのはやめようと思いました。そして前々から好きだった数学の進路にしようと思いました。入院中に「クローン病の疑い」ということで胃の内視鏡検査もしました。苦しかったです。そして入院して一週間くらいたった後、食事が再開されました。食べ物のありがたみを感じました。そして二週間後くらいになったとき、CRPが徐々に下がってきているということで退院しました。家に帰ってきたとき安心しました。病院から早く出たいと思っていました。そのあともGCAPを頑張って続け、いつもは静脈に針を刺していたところを動脈に刺したりして激しい痛みに耐えるときもありながらも11回やった後にようやく出血が止まりました。11月終わりのころでした。便も固まっていました。
11)たった一週間の寛解とステロイド再使用
退院して一週間、退院祝いとして親戚と家族で退院祝いをしました。そこでもう大丈夫だと思っていた僕はそこで出された鰻を食べてしまいました。鰻は脂質のたくさんある魚です。次の日、腸がギュルギュルいうようになりました。これはやばいと思ったところ、もう手遅れでした。その一週間後くらいから下痢・出血が始まりました。再診予定を早めて行ったところで、先生に「GCAPはもう一回できないのですか?」と聞くと、「11回までと決まってるからな…。透析科の先生にもお願いしなくてはならないし…。」と言われました。僕は「ステロイドの注腸はだめですか?」と聞いたところ「注腸は苦手な人が多いけどできるの?」ときかれ、使えますといいました。それから12月半ばからプレドネマ注腸を使うようになりました。しかし、いっこうに病状は現状維持、というよりは少しづつ悪くなっていきました。また、学校の生物の授業で、ステロイドは分子量が小さいために細胞膜を通り抜けられるので、細胞内の酵素に直接影響を与えると知ると、恐ろしい気持ちになりました。
12)運命の変わり目、クローン病と診断
2012年の初もうでは病気平癒で有名な巣鴨のとげぬき地蔵に家族で行きました。この時「病気がよくなるように、志望校に合格できますように。」とお願いしました。しかし病状は腹痛・出血ともによくならないまま、センター試験が近づいてきました。そこで経口ステロイドも始めてしまいました。センターも腹痛のする中受けました。食事制限も厳しいものとなり辛かったです。このころから漢方はどうなのだろうかと「潰瘍性大腸炎 漢方」でヒットした都内の病院に行きました。しかしそこで処方された漢方を飲んでもいっこうに症状はよくなりませんでした。そして2月半ばごろから私立大の本試験、そして国立大の二次試験も症状がよくならないまま受けました。もちろん勉強も全く手についていないので受かるはずもありません。学校も卒業しました。何か変わらないかと今までやっていた和太鼓も再開しました。3月の事です。そこで先生から「これからの治療方針を決めるために、クローン病かどうか内視鏡検査をさせてほしい。」といわれ、受けたところ、「判別の難しい所見だが、経験から言うとクローン病だと思います。」と言われました。4月の初めです。そして僕は家に帰ってクローン病をパソコンで調べました。Wikipediaも今まで潰瘍性大腸炎ばかり見てきましたがクローン病を調べました。しかし、クローン病と診断されたのが分岐点でした。母親が「クローン病 完治」で検索したところ、松本医院がヒットしました。そして母親が「理論はよくわからないけど、熱意を感じる。行って来たら。」と言ってくれたので、父親と一緒に松本先生のクローン病完治の理論を読んで新幹線に乗って松本医院に行きました。4月半ばの事です。
13)松本医院
新幹線の中でも腹痛に襲われ、時間に間に合わなそうになりながらも、 大阪の高槻に無事につきました。松本医院に入った途端、漢方のいい匂いがし、スタッフの方もみんな人間的な感じがして、今までの病院のイメージとはかなり違った感じがしました。なんか大学病院の金属的な無機質なオーラとは違い、人間的なオーラを感じました。周りには膠原病の手記を読んでいる方や、リウマチの手記を読んでいる方、などなどたくさんいました。そこで潰瘍性大腸炎・クローン病の手記を読んだのですが、その人が今や何でも食べていると書いてあるのを見て思わず自分もこうなるのかなと思いうれしくて吹き出してしまいました(笑)。その後血液検査をしました。免疫を上げる鍼灸治療も受けました。父親が昔むち打ちを鍼灸で治したことを思い出したらしく、家で毎日お灸をやってあげるぞと言ってくれました。そして松本先生の診察室に入りました。 先生はメガネをかけ、にっこりしていました。理論を読んできたことを話すと、「ありがとう!」と握手してくれました。3回くらい握手してくれました。 そして「絶対に治るでぇ~。」と言ってもらいました。そして自分の病気は自分のストレスが原因であること、この病気は自分の免疫で治すということを改めて教えてもらいました。そして何とも言えない安心を覚えました。また「あんたはすぐなおるでぇ~。」と言っていただきました。そして漢方薬と漢方風呂、赤・黄の塗り薬をもらって家に帰りました。もう一度来たいと思わせてくれる松本医院でした。
14)その後
帰ったその日の夜から漢方を作りました。食前の漢方は黄土色で最初は吐き気がするくらい苦く、この先飲み続けられるだろうかと思いましたが、頑張って飲みました。(今やおいしくてやみつきになっています。コーヒーみたいなものなのでしょうか。)食後の漢方も透明な黄褐色で同様に苦かったです。しかし2~3日飲み続けると、便が固まってきました。出血もなくなりました。大学病院の診察の予約があったのでそこでの採血の結果を見ると、これまで4はあったCRPが0.1と正常値になっていました。これはすごいと思いました。この時四人目の先生は「いきなりこんなになるとは…、どうしてだろう…」と言っていました。ぼくはニヤニヤしてしまいました。(この大学病院にはもう通っていません。)また松本先生のリウマチ・膠原病の理論もじっくり読みました。 すると学校の教科書にはアレルギーのかゆみは厄介なものとしか扱われていませんでしたが、異物を排泄するためにまず異物(正しくは化学物質と結びついたタンパク質)と結びついたIgE抗体を肥満細胞にくっつけてヒスタミンを出してかゆみを発生させてそれらもろとも体外にリンパ液とともに排泄する働きと書いてあって、そう考えるのが一番自然だと思いました。また僕はこの病気の原因は自分もそうだったことからストレスだとずっと思っていましたがその答えが松本先生の理論の中に書いてありました。ストレスに対抗するために副腎からステロイドホルモンをだし、免疫の遺伝子の働きを変え、逆クラススイッチ(Wikipediaでもクラススイッチと検索すると出てきます。)させ本来アレルギーとしてIgEで処理される異物をIgGで捕まえてマクロファージや好中球に食べさせて溶かし殺させようとするのですが、アレルギーで処理されるべき異物は細菌でもウイルスでもなくただの化学物質なので溶かせずずっと残って、しかも治療と称してステロイドや免疫を抑えるペンタサやイムランなどを使うので、いつまでたっても元の免疫に戻るクラススイッチが起こらず、いつまでたってもIgGの戦いになり出血したり腹痛がするとのことでした。これもものすごく自然でした。また免疫を上げ続ければサプレッサーT細胞(レギュラトリーT細胞・Treg)が戦いをやめさせて自然後天的免疫寛容によってクローン病・潰瘍性大腸炎は完治するとのことでした。松本先生の理論は所々難解なところもありましたが、その大筋は極めて簡潔で美しく、論理的で美しさまで感じました。僕は数学が好きなのですが、数学の論理展開にも似た美しさが松本理論にはあります。ぼくは家に帰ってからこのリウマチ・膠原病の理論を読んだのですが、これを読み、理解した後、皮肉を言わせてもらえば、大筋の部分は医学部の入学試験に出してもいいのではないかと思うほどでした(笑)。なぜなら大筋は生物の資料集の内容で理解できることだったからです。漢方風呂も体の芯から温まる感じでした。免疫の細胞たちが活発になっているイメージができました。そして前々から悩まされていた手足の冷えもむしろポカポカしてきました。また、電話診察の時もユーモアたっぷりに話してくれました。受験勉強は自分にストレスにならない程度にやりぃや~とも言ってくれました。松本先生の大学の後輩の数学の先生の話もしてくださいました。電話が終わると何とも言えない安心感を覚えました。また母親は毎日漢方薬を煎じてくれ、父親は毎日お灸とマッサージをしてくれました。感謝しています。
15)リバウンド
漢方を飲み始めて一か月か二か月たったころ、止まっていた出血がまた出てきました。でも僕は理論をしっかり読んでいたので、「体が元に戻ろうとしているのだ。」と思いました。免疫の遺伝子を修復するのには出血もしょうがないことでしょう。松本先生に連絡したところ「それはリバウンドや。出血止めの漢方出しとくね~。」と言ってもらい、その日から食後の漢方が出血止めの黒い漢方になりました。(この漢方は今までの漢方と違って甘くてやみつきになってしまい、いまでは一日の楽しみとなっています。)またこのころから手のひらに湿疹ができるようになりました。湿疹を掻いた傷口に赤い薬を塗ると、すぐにかさぶたになってくれます。また、手記で見たように壮絶なリバウンドを経験されている方が何人もいらっしゃったので、これからすごい辛いリバウンドが始まるのかなと覚悟していましたが、僕の場合は二・三か月くらいの慢性的な出血だけで、そのうちおさまってきました。カレーも食べても何ともありませんでした。またストレスをためないためにも和太鼓は今も続けています。 そして二度目の診察の時に「きみはもうすぐ治るでぇ~。」と言ってもらいました。帰りに京都により北野天満宮で受験のお守りと健康を祈って家路につきました。
16)潰瘍性大腸炎・クローン病の完治
その後から手のひらの湿疹がどんどん出てきて、かゆくて夜眠れない日がたまにありました。しかしそのうち出血も止まり、そのことを松本先生に伝えたところ、「潰瘍性大腸炎のほうはもう治ったね。これからはアトピーの治療になっていくからアトピーの漢方だしとくね~。」と言ってもらい、潰瘍性大腸炎・クローン病のほうは完治させることができました。9月初めのころです。いまはクラススイッチしたアトピーを免疫寛容に向かわせるべく治療をアトピーの治療に切り替えて続けています。
17)おわりに
今、松本医院に行っていなかったらどうなっていたのかと思うとぞっとします。僕はレミケードをする前に松本医院にたどりついたのですが、僕はレミケードが抗TNF-αの薬だとIBDの本で知っていて、Wikipediaで調べるとTNF-αはがん細胞に対し壊死を引き起こす因子であると分かっていたので、それを阻害するレミケードを使うということはがん細胞が増殖しまくりの状態を作ることだと思い、どうしても受けたくありませんでした。また日本ではないが、 海外では悪性リンパ腫が発生した例が40人ほどあるというので、そんなことを聞くとどうしても嫌でした。そこで松本医院に出会えたことは本当に幸運でした。どうか、この手記を読んだ方々、自分の身を守るためにも自分の病気の事を知ってください。自分の体は自分の知恵で守っていくものです。Wikipediaでも何でもいいので松本先生の理論と照らし合わせながら見てみてください。それがあなたの人生を救うものとなることを願ってやみません。今や僕は普通の人と同じように食事をし、同じように運動をし、同じように勉強できる体になりました。カレーもお寿司もとんかつもラーメンも食べても平気です。うれしくて笑ってしまいます。ニヤニヤしてしまいます。これほどうれしいことはないでしょう。今年の受験は去年とは全く違う僕で挑めます。数学・物理という真理の追究をしたいと思っています。アトピーが完治した暁には完治の手記を書きたいと思います。松本先生ありがとうございました。 これからもよろしくお願いします。

注目の手記・ブログ
●かあさんくまさんの松本医院のアトピー治療ブログ
(2人娘はアトピっ子。「絶対に治る!」という主治医のコトバを信じ、ステロイドや抗アレルギー剤を使わず、漢方治療をはじめました・・・)
漢方科 松本医院について
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アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。
患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。
アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。
それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。
漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。
市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。
松本医院の「なぜ」
病気とは何でしょうか?
病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。
それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。
アレルギーとは何でしょうか?
アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。
膠原病とは何でしょうか?
膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。
アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?
敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。
リウマチの患者さんの家族の皆様に
他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。
そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。
また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。