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「ヘルペス(五十肩)手記」

中村ゆかり 53歳 2013年5月17日

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拝 啓
 松本仁幸さま

 クローン病治療で娘がお世話になっております。わたくし、母親の中村ゆかりと申します。月に一度の名古屋から高槻市へ旅を楽しみにしております。 というのも診察室で松本先生の「ワッハッハシャワー」を浴びるのが何より楽しいからです。先生の理論はとても分かりやすく文章で感じる爽快さは診察室ではもっと軽やかに伝わって来ると思っています。そして、そんな爽快さを満喫する母と娘でございます。

 HPで松本理論を読み「この世の中に、こんなにも真っ直ぐに真実と向き合う人がいたんだ!!!」感動で涙が出ました。実際にお会いしてますます実感を深めるばかりです。「こんなに気持ちのいい人に出会ったことはない」というのが第一印象でした。また、「こういう人にこそ出会いたかった」私たち母娘はそう思いました。そして、数々のコラム・手記へのコメントには真実の愛が満載されているのを実感しています。ありがたがりでもったいながりの私は涙ウルウル状態で毎回のコラムを読ませていただいています。

 私は、事実を事実のままに見つめようとする能力が備わった人間だと思います。あつかましいですね。ごめんなさい、でも、あえてそう言わせてもらえるぐらいの人間歴は積んできたかなと思うのです。この能力は物心ついた時から備わっていたみたいです。幼いころは「生き辛い」ことこの上なしといった状況でした。周りの人間のどこを見ても、真実と虚構の区別がついていないようにしか見えなかったからです。そうでなければ誰もかれもがとぼけているのだろうか……、学校へ行ったら誰かが教えてくれるのかと期待しましたが期待に応えてくれる人には出会えませんでした。両親はこのエゴにまみれた貨幣経済の海で家庭という船を何とか沈没させないよう必死で働いて、働いて、疲れ果てていました。貧乏でした。貧乏はいけませんね。やりたいことを我慢しているという実感すら与えられないように上手に自我を封じ込められて育ちました。行き場を失った自我は心の中で渦を巻き、親や周りの大人たちの言動をひたすら観察し謎解きを切望して大人になりました。解けた謎もありましたが解けない謎もありました。数学は美しい概念だし、理科は事実を追及できるから大好きでした。国語は言葉という道具を使いこなしたくて興味深いと感じていました。唯一意味不明だったのは人間が繰り広げる戦いの歴史、興味が持てませんでした。並行して政治経済も理解不能でした。

 生きることは闘いつづけ勝ち続けること。それが、命の営みだし人間の進化の過程だと知った今、歴史も、政治経済もとても身近なものになりました。 生きることは闘いであり勝ち続けてこそ人生だ。いつしか、私にとって「生きることはゲームだ」と笑って言えるまでになっていました。そう、その頃には、病気は自分で作り自分で治すものだという考えに至っていました。40年ほどかかりましたけどね(笑)

 そして、そんな私が娘のクローン病闘病に寄り添うことになったのです。「病気は自分で作ったのだ」このことを娘はいつどんな形で実感してくれるんだろうか……。これは、娘自身が心底実感しなければならないもっとも重要な課題でした。病気になって欲しいものを手に入れる手口は父方から運ばれてきたDNAだということを私は見抜いていました。娘の父方は大病の家系でした。 そこにこそ最大の課題が潜んでいると察知していました。してはいましたが、とにかく病気は本人が気づきを得ない限り、病気になることを繰り返してしまうと考えていました。「手ごわいぞ」と思いましたが、それを説明し得るだけの理論を持っていませんでした。ただ生きてくる中で、そうとしか考えられないというところに辿り着いていただけだったからです。どうしたものか……。

 悩みながらも、現代医療と呼ばれる治療を受けるしか能がなく、娘の気づきが訪れるその時まで時間稼ぎをするしかないと考えました。いや、娘はある程度は気づいていました。病気になって何を得、何を失ったかを知っていましたから。でも、どうやったら、この負のDNAスパイラルから抜け出せるのか、手掛かりがなかっただけだったのです。

 そして、その時がやってきました。娘が自分で「漢方科松本医院のHP」を見つけたのです。私はこの瞬間を待っていました。娘自身がどこかにある真実の扉を開ける日を。

 クローン病発覚から7年8か月が過ぎていました。その間、手術を受け、人工肛門になり2年3か月の人工肛門生活を過ごしました。辛い日々でしたよ。人工肛門だった小腸をお腹にしまう手術を受け、人工肛門からは解放されましたが、その後も食事制限をしても何度かの入退院を繰り返していました。 服用薬はペンタサのみ、これは不幸中の幸いだったかもしれません。とにかくステロイドはダメだという考えからプレドニンは一切処方してもらいませんでした。わがままな患者で嫌なものは嫌だと言い通すよう努めました。嫌だと言い出したら聞かない姿勢を貫くことで、主治医や看護師さんたちへ頑固な患者の印象を入院中からしっかりと刷り込みました。母娘で立てた戦略でしたが。理論はなかったですが、母の直感を頼りに娘の気持ちが健康であるよう踏ん張りました。

 入院・手術・退院・通院・検査・入院・検査・退院……、しかも治らない……、こんなの治療じゃない!! 何かがおかしい……。とにかく医者は治療という名のもとに人から人間らしさを奪っていく。患者はどこまでも耐えている。これっておかしくないですか?!! 行き場のない怒りがふつふつと沸き起こっていたことを今でも思い出すことができます。傍で見ている私ですらこうなのですから、娘はどんなにか辛かったことでしょう。

 しかし、松本理論に出会って救われました。真実はなんと明快で爽快なんでしょう。身体は正直でした。松本理論の実証は単純に分かりやすかったようです。身体の実感を伴っているからだそうです。クローン病完治の手記は娘が書いています。私は私の手記といくつかのエッセイを添えて松本先生と松本理論への感謝の気持ちとさせていただきたいと思います。

2013年3月11日(月)
ひとまず 敬 具

   ヘルペス(五十肩)手記(53歳) 平成25年3月13日(水) 中村ゆかり  

 平成25年2月27日(水)  娘はこの日、「クローン病はもう治ってるんやないか?どうや?」って先生にきかれ、すがすがしい笑顔で大きくうなづいたんです。まさに記念すべきクローン病完治の日となりました。障害者手帳はなくなりませんが、完治は完治だと素直に喜んでいます。後は、アトピー性皮膚炎を治すだけ。クラススイッチが起きているのだから、自然後天的免疫寛容が起きるのも近いでしょう。 同じ日、私は松本医院受付で診察券を作ってもらった。娘のクローン病治療で1年5か月お世話になってきたこの医院で診察を受けることにしたのだ。 娘の治療を傍で眺めて、その回復ぶりに驚いたり感動したりしていただけの私だったが、今度は私自身が松本理論を体感できる時が来たとひそかに喜んでいた。

   

 数か月前から徐々に始まった肩の違和感は痛みへと変化していたが、ヘルペスと免疫との闘いの証だと理解しているから、ほっておこうと思っていました。松本理論を理解しているから不安もありませんでした。しかし、右肩から始まった違和感が痛みに変わった頃、少しずれて左肩も違和感を覚えるようになり、しだいに痛みがひどくなっていきました。右肩は痛みのピークを越えて治まりかけていましたが、左肩だけはどうもだんだんひどくなっていくようだった。初めは前方向に上げづらかった腕だったのが、痛いところが肩の後ろ側へ徐々に移動していくのを感じていた。気持ちに余裕があるから痛いところが移動していくのを思いっきり観察していた。左腕が後ろへ回せなくなって、次第にひどくなって後ろ側へ回した手は腰の辺りまでがやっと。痛くてそれ以上、上には上がらなくなってしまった。いつも娘と一緒に松本医院を訪れていたから、ここはひとつ私も診察していただくことにしようと決めたのだった。

   

 ここからは、3月6日(水)の私のブログを引用して治療開始から一週間後の様子を振り返りたいと思います。ブログ中の「コハ」は娘のことで、ブログタイトルは【小花物語】。GoogleでもYahooでもこのタイトルで検索すれば引っかかるようになっています。ちなみにYouTubeの動画も同じタイトルでいくつか見ることができます。

3月6日の日記より

こんばんは 小花物語へようこそ

昨日「眠くて、眠くて・・・」ということを書いた。今日も今日とて眠かった。昨日よく寝たので仕事中に眠くなることはさすがになかったが・・・ 定時に仕事を終えると一目散に帰宅という感じで帰ってきた。 とにかく寝よう・・・って思ったからだ。実は、今ワタシは五十肩の治療中で抗ヘルペス剤を服用しながら身体の変化を観察しているところだ。

もちろん漢方科松本医院の松本仁幸先生の指導の下に。沢山のコラムや手記へのコメントを読み松本理論を理解している。インターネットでは松本医院の治療法に不信を抱く方々の書き込みも読めるからそちらも読んでいる。 読んだうえでワタシはワタシの身体の中で起こることを丁寧に実感し松本理論のすごさを満喫している。そうした中で今ワタシの身体が欲しているのは「眠ること」のようだ。肩の調子は日に日によくなっている。

治療を初めて一週間。最初の二日間は抗ヘルペス剤を一日4回服用した。

眠前(これは京都で)翌日の京都散策の旅の途中朝・昼・夕食後と名古屋へ帰ってからの眠前(ん?・・・昼は飲み忘れ、気づいたときに服用したな・・・)そしてその翌日も服用。で後は、ときどき忘れるからそれはそれでいいやって思って一日二回ほどに今は一日一回になっている気分によってというか身体が欲しいって感じたら服用する感じだ。そんなことが分かるのかって?分かるのです。身体って本当に正直者だから。私が心理療法の「フォーカシング」愛好家だから特に身体の感覚を捉えやすいというのもあると思うけど・・・フォーカシングについてはこのブログを始めたころ時々書いてたなぁって思うけどそれがどこにあるのか今は探す気力がないです。いつかまた書きたいと思っていますが。で、今日は18時ごろ帰宅して軽く食事を取りちょっと休憩して19時過ぎ・・・そこから布団を敷いて寝た。すぐに寝つけなかったが寝ていたかった。コハが帰ってきて「おかえり~、おやすみ~(笑)」って言った気がする。そしてついさっき起きた23時半ごろお風呂に入ってこれを書いているってワケ・・・(笑)五十肩特に左の肩が痛くて私の腕・・・前には動かせるけど後ろに腕が回らない状態でした。キモノ着るとき自分の帯結びはできないのでコハに手伝ってもらっていました。それが、どんどん腕が回るようになってきているんです。五十肩もヘルペスと免疫との闘いだから肩まわりの神経でヘルペスウイルスを見つけたって証。私の免疫たちが大いに闘っていたんです。だから痛かったんですが・・・抗ヘルペス剤を服用したことにより免疫さんたちの助っ人が登場したって訳。肩まわりでの戦いが沈静化してくると他にはびこっていたヘルペスウイルスを私の免疫さんたちは見つけたみたい。

右肩甲骨の付け根の痛みが始まったのは抗ヘルペス剤をのみ始めた翌々日たぶん月曜日だったはず。同時に黄砂に弱いワタシはいつもは喘息様の咳が出るのだが痰が切れる苦しくない咳が出るようになった。鼻水も出る。気管支まで入り込ませないで身体の外との接点辺りで排除するだけの本来の力が戻ってきたって感じかな・・・時々、耳鳴りもしたがほんの一時だった。これは免疫の戦いに余力が出てきたから身体の他の部分でも十分に機能できるようになったんだと理解した。肩甲骨の付け根あたりの痛みはもっと内側に移動首から背中にかけての背骨辺りが痛むようになっている、それが今日のこと。ヘルペスウイルスはすごく狡猾だから人間が生きている限り神経節に隠れて生き続ける。 すごいヤツだ。今、ワタシの身体の中では免疫がヘルペスを封じ込めようとして闘ってくれているんだからとにかく身体を休めてあげようって思っているって訳・・・眠たくなるのは良いコトなんです。できる限り眠る時間を取ろうって思っているところ。寝ている訳にいかないときもありますもんね。

で、で、嬉しい副産物として今、書きかけているエッセイが行き詰っていたんですけどちょっとした気づきが起きて書きたいことが「見えた!」って思えたんです。これはワタシにとってすごくうれしいコト。長年の便秘が解消した感じ(笑)もっと他の表現はないのかって思うけどこれが一番ぴったり!!!

いつか、このエッセイも読んでもらえるかも・・・じゃ、すっきり感と共に再び寝るわ(笑)おやすみ~~~~なさ~~~いじゃ、また

 

 診察から一週間後、こんなブログを書いていました。そしてその一週間後の今日(3月13日)この手記を書いています。今日の身体の感じはとても軽やかでいい感じです。長年の肩こり首こりもなくなりました。自分の身体ってこんなに軽いものだったのかと感動しているくらいです。左肩の痛みはまだ少し残っていますが、自分でお太鼓の帯結びが出来そうなくらい快適になっています。この二週間、抗ヘルペス薬を服用しながら身体の内側で起こっていることを楽しく感じ取っていました。軽い耳鳴り、ちょっとした頭痛、後頭部から首筋の鈍痛、今まで鼻水が出ることはほとんどなかったのに鼻水が出るようになったこと、気管支が苦しくなるような咳はなくなり喉の辺りで痰が出て軽く咳をするだけで喉がすっきりすること等々、すべて嬉しい体験です。そうそう、アトピーも出ています。これは毎年黄砂の来るこの時期に出る症状でもあるのですが、これも楽しくてたまりません。私の免疫が身体のどの部分でヘルペスウイルスや化学物質を見つけ出して、封じ込めたり排除したりしているのかが手に取るように分かるのです。松本理論を知っているだけで、こんなに幸せな気持ちになれるのです。職業病(過去和裁士だった)だと言われていた首こり・肩こりもすっかり消え失せました。頭を支えるのって大変だなぁって感じていたのが嘘のようです。首や肩周りがすっきりして身体があまりにも軽く感じるので、思わず娘に「ねぇねぇ、私痩せた?」って言ってしまいました。もちろん痩せてる訳ないのですが……。娘は笑って「……、そ・れ・は、気・の・せ・い……」って言ってくれました。何と平和で楽しい会話でしょうか。幸せなひと時です。

   

 ここである言葉を思い出しました。『理論と事実が合致しなければ書き直すべきは、理論の方だ』私の好きな作家J・P・ホーガンが作品の中で使っていた表現です。まさにその通りだと思ったし、感動したから覚えてしまいました。 人はなぜか理論に合わせて事実を捻じ曲げて解釈したがる生き物みたいですね、松本先生(笑)。先生の理論を読んで、笑いが止まらない私です。

 

 松本先生が見抜いている人間のエゴをズバズバ言葉にして下さるから面白くて仕方がないのです。先生はコラムの中でユダヤ人の頭の良さを書いておられましたね。私が尊敬する人々は、なぜかユダヤ人が多いなぁって思っていたことも思い出しました。生化学者であり、SF作家であるアイザック・アシモフはユダヤ人。彼の作品を40冊以上読みあさったことがあります。哲学者でありながら心理学の世界に長い間、寄り道をして心理療法のフォーカシングの技法を発見発展させたユージン・T・ジェンドリンもユダヤ人です。ちなみに私はフォーカシング愛好家で達人と自負しております(笑)私には本物の理論を構築するような才能はないですが、本物がそこにあれば見逃さない才能は持っていると思います。  松本理論に出会った時、私の細胞一つ一つが喜びの声を上げたのを見逃しませんでしたから。

   

 話を戻しますね。
 私がこの手記を書く理由は二つです。一つは感動と感謝。もう一つは周知です。

 風邪は万病の元ではなくてヘルペスこそ万病の元だったのですね。私がこの二週間で経験したヘルペスウイルスと免疫との闘いの実感や黄砂や化学物質を排除しようとする免疫活動を通して、長い間、本当に長い間、抱えていた謎が解けたのです。こどもの頃よく体験した「首筋の寝違え」「毎夜寝られないほどの咳き込み」「目の中のごろごろ」「腰痛」、思春期以降の「頭痛」「首こり」 「肩こり」「腰痛」、大人になって強烈なストレスがかかる度、その後に訪れる「背中の痛み」「吐き気」「耳鳴り」「頭痛」「肩・首こり」「リウマチ症状」すべてヘルペスウイルスと免疫の闘いの証だったのですね。松本理論を知った今、思い出せる限り振り返りの作業をしています。松本理論がすべてに当てはまります。事実と合致する理論は本物ですよね(笑)

 幸いなことに私は、ほとんど薬を服用せずに多くの症状を乗り越えてきました。お薬をあまり処方してくれない医師たちに出会っていたからでしょうか。時には近所の人からは「ヤブ医者」の評判がある医院もありましたが、私はお薬を出さない先生は良い医者だと思っていたので近所の評判は無視しました。ただ一度だけ、怪しげな関節のこわばりを感じて訪れた市民病院でリウマチのクスリであるリマチルを処方されたことがあります。この時は一週間ほど服用し、全身に湿疹が出て強烈な痒みで苦しみました。その時は身体が<こんなモノ飲むんじゃない!>って怒っているのだと思い、独断で残りのクスリを全部捨てました。次の診察日は無視して通院をやめ、意志の力で治してやる!治らなかったら、それはそれで私が作り出したのだから仕方がない、諦めるっきゃないなって思ったものです。理論がないのでやけくそです(笑)

 自分のことはそれで済んでいたのですが、娘がクローン病になったと知った時はさすがにまいりました。理論がないというのは本当に不便です。説明できないですからね。何かが絶対におかしいと思いながらも、娘にまがい物の治療を受けさせてしまいました。悔しいことです。しかし、母が足りないところは娘が補ってくれるまでに成長してくれていました。クローン病が治らない病気で一生ものだと思い込まされていた時、苦し紛れに選んだ世渡りの術は「できるだけ長く学生でいること」でした。ちょうど薬学部が4年制から6年制に変わった時期だったので娘に「薬学部へ行け」と無茶ブリしたのです。このあたりのいきさつは面白いので小説形式で作品を書いているところですが、いつか多くの人に読んでもらえるものに仕上がったらいいなと思っています。ちなみに、二部に分かれていて「闘病期」と「問病気」(どちらもトウビョウキと読みます)です。

   

 そう、娘は薬学部に進学して薬学を学ぶうちに「クローン病治療にレミケードみたいな強いを使うのは日本くらいのものだよ!」って怒り出していたのです。「私は絶対使わない!」「人工肛門も二度と嫌だ!」って断言したのは何度目かの入院中のベッドの上でした。「じゃあ何がしたいの?」って問い詰めた私に一瞬、怒りの目を向けながらも半泣き状態でした。ベッドの上でiPhpneを操作し始める娘の傍で私は言い過ぎたかと心苦しいまでの冷たい空気を感じながら時間が過ぎて行きました。ほどなく娘が張りのある声で「ここへ行きたい」と漢方科松本医院のHP画面を見せてくれました。私もすぐにiPad(私は老眼)で同じHPを開き二人で読みふけりました。何としても退院を勝ち取り松本医院へ行こう!! 二人で誓いを立てた時には病室の空気は虹色に輝いているかのようでした。平成23年9月初めのことでした。実際に松本医院を訪れたのは9月21日でした。ここから本物の治療が始まったのです。この治療については娘からの手記で読んでいただきたいと思います。

 

 さて、また2週間が経ち現在3月27日です。初診から1ヶ月、私の肩は……、いや、ヘルペスウイルスは左肩周りで闘いを続けており、微妙にその位置を移しながら免疫との攻防戦は繰り広げているようです。闘いは一進一退と言ったところでしょうか。そこで自宅近くの鍼治療院への通院も始めてみました。鍼の後はとても眠くなるので眠る時間が確保できるタイミングで施術を受けるようにしています。自分の身体に起こる変化を観察しながら松本理論を実感しています。痛みを感じるコトはそれなりのストレスといえるでしょうがこれは生きているからこそ喜びと受け取ることができます。松本理論を理解しているからこそ焦りや不安はまったくありません。

☆ ☆ ☆


 さてさて、ここまで書いてありながら仕上げることが出来ず送信もできないまま、時間が過ぎてしまいました。現在5月17日です。一ヶ月と二十日間も手を着けられなかったのは、私の実母が亡くなったからです。一週間後には四十九日の法要を迎えます。ここの所、私の五十肩の痛みはかなりひどい状況です。抗ヘルペス剤もなくなってしまいました。ですが、不安も焦りもありません。この心理状態には変化がないというかゆるぎない自信となって私を支えてくれています。遺伝子の仕組みに敬服しているからこそのゆとりといえるでしょう。明日には松本医院を訪れ、いつものワッハッハシャワーを浴びてリフレッシュする予定です。2月27日以来の受診になります。こんなに間を開けたのは初めてかもしれません。抗ヘルペス剤をいただくのも楽しみです。ヘルペスウイルスとは命ある限り闘い続けなければならないので、抗ヘルペス剤とも縁は切れないのでしょう。ストレスを抱えない心の在り方を手に入れることができたのは、まさに松本仁幸先生の愛の力が生み出した『松本理論』のおかげといえるでしょう。感謝しております。そして、これからもよろしくお願いいたします。

平成25年5月17日
中村ゆかり

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 アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。

 患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。 

アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。

 それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。

漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。

 市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。

松本医院の「なぜ」

病気とは何でしょうか?

 病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。

 それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。

アレルギーとは何でしょうか?

 アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。

膠原病とは何でしょうか?

 膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。

アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?

 敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。

リウマチの患者さんの家族の皆様に

 他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。

 そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。

 また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。

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