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「クローン病手記」

酒井 利浩 40歳 2011年5月10日

クローン病からの完治にむけた手記

 「手術をしたら、もしかしたら一生血液から栄養剤を入れて生活しなければいけないのですか?」2010年5月17日。私は、病室で天井を見上げながらずっと考えていました。翌日18日は、手術の日です。 もし手術をしたら、これで生涯8回目の手術になります。

●簡単な病気の経過

1.自分は何の病気なんだろう?

 

 大学受験時代の頃から腹痛が続きました。高校のマラソン大会でトイレに行くと、便器が真っ赤になりました。下血です。恥ずかしくて誰にも言えませんでした。でも、どこかで身体が異常だろうと近くの肛門科に行くことにします。痔ろうでした。そして、1回目の手術。17歳のときでした。思春期で痔ろうの手術はとても恥ずかしかったことを覚えています。そのときには、まだクローン病とは診断されませんでしたし、私もその存在を知る由もありませんでした。その後も腹痛や下痢、下血は続きます。

 

 そして、浪人して2年後の大学受験の前々日に、急な腹痛に襲われ、病院で診てもらったところ、盲腸の疑いでした。受験が近かったため、激痛を減らす薬をもらいその場はなんとかなりましたが、その後は、すぐに入院、手術したところ、急性腹膜炎と診断されました。もっと遅ければかなり危なかったそうです。その後の私大受験は、お腹にドレーンを6本挿して、膿をだしながら受験をしていました。このときもまだ、クローン病の診断をうけることはありませんでした。大学受験や親子関係でのストレスや外に出せない怒りが自分の内側を攻撃していたのかもしれません。病気というのは、先天性の場合もありますが、私の場合は環境的な要因が強かったようです。

 

 その後の大学生活もガスや膨満感は続きましたし、下痢や下血も頻繁にありました。社会人になってからは、電車に乗ってからもトイレが近くて不安になり、それがまた腸に負担をかける悪循環になりました。もちろん友人関係や人とお付き合いするにもガスが爆発的にでるので恥ずかしくて思い切った活動がしたくてもできない状態も続きました。引っ込み思案にもなっていきます。

 

 社会人生活になると、何度かお腹が急激に痛くなることがありました。診断を受けると、胃潰瘍や十二指腸潰瘍で、薬を飲んですませていましたが、まだ痛みがおさまるわけではありません。

 

 27才のときに、病院の健康診断で血沈の値がかなり高くなりました。これまでも高かったのですが、血沈は、インターネットで調べてもよくわからなかったので、ほっておいたのです。しかし、会社で健康診断結果について診察を受けるよう薦めもあって、初めて専門的な病院で診断してもらうことになりました。初めて腸のレントゲンをとりました。(初めはどんなものかが不安なため、痛みが強かったです。)写された結果を見ると、食べ物が通ることができるの?と思うぐらい腸が細くなっています。驚きました。

 

 まだ、その病院では診断がつかず、初めて大学病院で精密検査を受けることになりました。そこで初めて、クローン病と診断されました。おそらく診断がついたときはこのときですが、クローン病の症状からすると17歳の痔ろうのときからスタートしていたように思います。ここまでの約10年間。痛みとともに生きてきました。これまで何が原因なのだろうと頭を悩ませていたことが、診断がついたことで自分の状況が理解できたことです。自分の症状についてどのように対処すればよいかが分かりました。理解できた反面、急に病気の症状が早くなり始めました。その後に立て続けに入院、手術を繰り返すことになりました。これは心の問題だと思います。

2.クローン病と診断がついて

 

 「クローン病」初めて診断名を聞いたときは、何が何だか分かりませんでした。尋ねてみると難病指定を受けていて、現代の医療では、治療できないものだと話されました。ショックでした。全ての不幸を一心に背負ったような感じになりました。初めて「赤い」薬であるペンタサを飲みました。魔法のように効いた記憶があります。当時は6錠でしたが、下痢やオナラが以前と比べ物にならないぐらいに少なくなったのです。こんな薬があるなんて、と思いました。一方で、こんな薬を毎日飲んでも大丈夫かな、という心配もありました。そのときに通っていたのは内科でした。内科では、薬以外には鼻からチューブを通して栄養剤を入れる練習と食事についての教育入院をすることになります。

 

 私は、エレンタールを飲むのが苦手で、何度か経口でチャレンジしたものの鼻からチューブを入れるほうが楽でした。食事指導も受けました。ほとんど食べてはいけないものばかりで、「何を食べればいいんだ!」と嘆いたものです。退院後は、弁当におにぎりと多少の魚ぐらいで外食も控え、あとはエレンタールを飲んだり、家に帰ったら寝ながら鼻から栄養剤を入れる毎日でした。外で人と食事もできないので、だんだんと孤独になり、エレンタールを嫌々飲むため、栄養はとれてはいるものの元気な感じにはなれませんでした。食事のスタイルはそんなにすぐには変えられるものではなくエレンタールに飽き始めると、これは食べても大丈夫かな、と大丈夫なものは食べ始め、大丈夫になれば次のリスクが高いものと最後にはリスクの高いものばかり食べるようになり抑えがきかなくなります。そして、症状が悪化して入院の繰り返しです。

 

 ある時は、内科で2ヶ月間エレンタールで絶食して、1ヶ月で8分粥まで食べられるようにして退院することもありました。退院してもやはり食事と仕事のストレスが原因ですぐに痛みが増してきます。特に腸がせまくなった所はそのままなので、何か食べ物がそこを通るたびに違和感や激痛が走ります。一時期はCRPが8.0を超えて、ふらふらになって倒れそうになったこともありました。そんなときには、ステロイド剤を処方されます。ステロイド剤は、効き目は抜群ですが、先生に教えてもらったり、本を読むと、副作用がひどく出るとのことであまり使いたくはありませんでした。これだけの痛みを抑えるためには、仕方なく服用することにしました。

 

 こうして、何度かの痛みに我慢はしながら、半年間は鼻からチューブをして会社に通ったこともありました。背中にボトルの入ったリュックを背負い、満員電車に乗ったりもしていました。心無い人には、満員電車の中でいやがらせやあからさまに嫌な顔をされたこともあります。確かに、鼻からはブルーのチューブをしていてそれを肌色のテープで押さえてその上からマスクをしていたので、その姿は明らかに異様でもありましたから、仕方なかったかもしれません。こんな日常生活を送っていては喜びもありません。ただただ、痛みを我慢して鼻から栄養が送られる。ロボットのような毎日が続くだけで、何のために生きているのかがよくわかりませんでした。QOL(クオリティーオブライフ)をあげるためになにができるだろうと選択肢をさがしたときには、当時はオプションとしては外科手術しかありませんでした。

3.外科手術の選択

 

 手術は痛みが伴うため、できるだけしたくはなかったのですが、外科手術をすれば食事は美味しいものを食べられて普通の生活に戻ることができる、という体験者の記事を読んで、しぶしぶながらに決断することにしました。手術は、横浜のクローン病の外科手術で有名な当時の横浜市立大学付属の病院に通うことになりました。急性腹膜炎以来の外科手術でしたが、8箇所ほどの狭窄形成術を行ない、手術後はこれなら殺して欲しい、と思うぐらいの痛みを感じました。しかし、その激痛も1週間を超える頃にはおさまり、2週間目にはおかゆを食べることができるようになります。

 

 人間の力の神秘を感じました。それからは、外科手術をしてしばらくは順調ですが、またすぐに悪くなることの繰り返しです。外科の先生は、とにかく切れば症状が軽減するため狭くなったところは切るのですが、切ってつないだところから狭くなるという繰り返しでした。私は小腸大腸型だったため、小腸と大腸のつなぎ目のあたりが頻繁に狭くなりました。

 

 そうして外科手術を繰り返すうちにいつしかストマ(人工肛門)まですることになりました。ここで小腸機能障害と直腸機能障害で障害等級が3級になりました。さすがに人工肛門になったときはショックでした。手術前に、選択肢の一つということで人工肛門になるかもしれない、という提示を受けました。多分大丈夫だろうと思っていたら、麻酔あけにお腹にしっかりとついていたのです。正直にいうと、私の人間として保っていたプライドが崩壊した瞬間のように感じました。それからは、人に対しても便の臭いなどが気になり、人間関係に対しても消極的になりました。

 

 そんなときでも助けてくれたのは友人たちです。ずっと人の集まる温泉などにいくのをあきらめていたのですが彼らが私の人工肛門の姿をみても何も言わないでいてくれたことがとても救いになりました。また、当時付き合っていた彼女が、私のことを全面的に受け入れてくれたこともありがたかったことです。自分だけが気にしていて、人は気にしていないのかもしれない。そんな風に思えました。人工肛門は、ケアが面倒くさいですが、慣れれば食事も比較的自由になり、生活が楽になりました。

 

 しかし、それで調子に乗ってしまったのでしょうか。通常、人工肛門をしていると便は人工肛門から出るはずですが、あるときに、お尻からオナラが出始め、やがては便が出始めるようになりました。そして、検査をしたところ、腸と腸が癒着して穴が開いたことが分かったのです。これもまたショックでした。そして、先生に尋ねたところ、外科手術で取り除くしか方法がないと言われました。しかし、これまで7回の手術を重ねてきて、レントゲンを見ても残っている腸も多くが狭窄しています。単に、腸と腸の癒着した穴を取り除くだけではなく、大幅に腸を手術して切り取らなくてはいけない。先生に聞くと、手術以外には選択肢はないといわれました。手術をすると腸はおそらく1m20cmを切るか切らないかぐらいの長さしか残りません。短腸症候群となって、もしかすると一生経管栄養で過ごさなくてはならなくなるかもしれないという危険性もありました。

 

 インターネットでろう孔が自然治癒した例がないかを探しまくりましたが、見つかりませんでした。しかし、手術をして腸はこれ以上悪くならないかといえば、まだ悪くなる可能性が多分にあります。そして、経管栄養になるとまたあの覇気のない人生を送ることになるのかと思うと、手術をすることにかなり躊躇があります。

4.手術をやめる決断。

 

 そして、2010年5月17日。手術の前日に手術をしない決断をしました。私は、ある時点からNLPを学び始め、ガンが心のケアで治ったことを知っていました。そのため、自然療法で、自分でできるところまでやってみて、それでダメなら手術しようと決めました。先生にそれを言うのはとてもためらわれました。なぜなら手術をする準備をこれまでしてくれていたからです。前日になって断ると言うのはとても非常識のようにも思えたからです。

 

 しかし、これは自分の人生。自分で責任を取る必要があると決断しました。これができたのも、先ほど触れたNLPというコミュニケーションと心理学の講師をしていて、自分の心の状態管理をできるようになったからという背景もあります。(病気を持ちながら、会社を辞めて独立できたのも、私がNLPを心の支えにできたからでした。)そして、それからどのように治していこうかと治療方法を探していたときに、友人が教えてくれたのが、この「松本医院」だったのです。

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 これまでの経過をもっと詳しく書きたい気持ちもあるのですが、今回の手記の目的は「松本医院」での病気がどれだけ劇的によくなったかを書くことなのでこれぐらいにとどめておきます。この手記を書くのは、手術をやめる決断をしてからちょうど1年を迎える時期です。昨年の状況と比べて、大学病院の担当医も驚くほどの回復をすることができました。クローン病だけでいえば、完治したといってもよいぐらい良好な状態が1年ずっと続きました。

(1)出会いから  

 これまで多少、クローン病が免疫機能の影響があると感じていたのでいくつか本を読んだこともありました。ただ、難しかったので可能性は感じていたものの、何だか自分には遠い存在のように感じていました。

 

 初めて「松本医院」のHPを読んで患者さんの手記に対して、真っ赤になるほど書き込んでいたのをみたときに、松本先生の免疫に対する知識の深さとそれに対する情熱が伝わってきました。松本先生は本気でやっているな。それが伝わってきました。私は神奈川に住んでいたのですが、医院は高槻にあります。しかし、病気を治すと本気で決めたのであれば距離というのは関係ありません。それを超えるぐらい自分が治りたいと思わなければきっと治るものも治らないと思い、すぐに一度松本先生に診てもらいたい、そんな風に想いました。

 

 会ってみたら、本当に情熱的な先生で、医療業界を憂い、患者の免疫をあげて本気で治そうという意気込みが伝わってきました。免疫についても分かりやすく説明してくれて自分の病気の経過がどうなっていれば、良くなっているかという指標も教えてくれました。それがクラススイッチでした。

 

 また、血液検査の項目も病院の単なるCRPやアルブミンだけの指標を見るのではなく、細かに設定してくれていたこともわかりやすかったです。治す、という意欲については桁が違いました。外科の診察はだいたい2時間待たされて 症状を聞いて、いつものお薬という感じで、初期の病気のときなどは、こんなことで私の何がわかってくれるのだと想いましたが、だんだんとそれが普通になりました。そこで学んだことをお医者様に頼ってはいけないんだ、ということです。特に、大学病院に入院するとわかるのですが、教授回診などは、教授のためにみんなが魚の群れみたいについて回って明らかに先生たちが教授に気を使い、患者に意識が向いていないのを感じると、私たち患者は、何だかモルモットになったような感じになるのです。それでも、治してくれるのは先生方々ですからその光景は滑稽ながらもお願いするしかないわけです。もちろんなかには、優しい先生方々や看護師さんもいらっしゃいます。それが救いです。話はそれましたが、それぐらい人に対して、病気に対して情熱を持って治そうという気迫が伝わってきたのです。

 

 私は、これまでの経過や事情をお話して、自然療法でクローン病の症状とお尻からでてくる便を止めてろう孔を治したいというと先生もがっちりと握手してくれて、どこまでできるかわからんけど、やってみよう!と言ってくれました。それからは、初めて漢方の投薬と鍼灸による治療が始まりました。

(2)治療開始  

 これが私にとって劇的な効果がうまれました。漢方は、以前から効果があると聞いていましたがこれほどまでに効果がでるとは思いませんでした。また、鍼灸にもこれほどまでクローン病に効果がでると体験できてこれまで東洋の手法を軽視していたことが残念でなりませんでした。

 

 これは、クローン病で悩んでいる人には声を大にしたい。西洋の治療方法は、その場所だけにこだわっていて、人間全体の自然治癒力というものを視野にいれていないことがあります。局所的には効果があっても慢性的な病気には、私たちのもつ自然治癒力が発揮できる方法を考えていくことが大切です。

 

 こうした漢方や鍼灸を保険診療として認めてくれれば、より病気のステージによって治療の選択肢ができますし、社会的に増える医療費の削減にも繋がるように考えます。あとは、効果のあるお医者さんがどれぐらいいるかということですが。

 

 話はそれましたが、まず、松本医院に来る前は、腸の狭窄のせいで人工肛門にほとんど便が流れませんでした。歩くだけでろう孔から漏れた便がお尻からでます。水溶便なので我慢できずに、何枚紙おむつをしても足りないぐらいでした。臭いや便がパンツにつくのも嫌でした。40歳にもなって社会生活も送れないし、コントロールできない自分が嫌でなりませんでした。

 

 それが、漢方と鍼灸を始めてからはまず、1週間もしないうちに、人工肛門へ便が流れ始め、お尻からの便が漏れることが少なくなりました。オムツ3枚程度になり、やがては、1日1枚お尻に当てていれば大丈夫な日が何日も続きました。そして、気の流れがよくなったのかエネルギーが高くなってきて、QOLがかなり高くなりました。食事についても体調が悪くなったら控える程度でよかったので今まで我慢していたとんかつなども時々は食べることができるようになりました。(今は、食べることができて満足なので、わざわざ食べようとは思いません。制限されると食べたくなるんでしょうね。)

 

 得られたのは、病気に負けてしまってずたずたになった自分が病気の回復とともに自尊心が高まっていったことでした。自尊心が高まれば、より自分に対して治療したり、社会に対して貢献する気持ちが生まれるので、より元気になれます。しかし、漢方は何度か山を乗り越える必要があるかもしれません。

 

 私も初めは気合が入っていたので、毎日作っては飲んでいましたが、1ヶ月過ぎに一度山がきました。苦さが耐えられなかったのです。その時は、味覚糖のあめを舐めたり、ジュースを飲んだりしましたが、ときに食後に飲めなくなるときもありました。しかし、ペンタサを減らしたことやこの苦さが身体に良いんだと自分に言い聞かせることをしたり、これを飲んでいれば、絶対に大丈夫、という先生の言葉を信じて多少、飲まない日があったとしても続けて行きました。また、3ヵ月後にも1度山がありましたが、それでも続けていくことで、いつしか、漢方薬の味がコーヒーの苦味のような感じに変わり毎日でも飲めるようになりました。また、先生から言われたことはとりあえず全部やろうと、近場に良い鍼をしてくれる場所を見つけて毎週通いました。

 

 そして、お灸はカヤマミニを購入してできるだけ毎日行ないました。診察に行くと、松本先生がいつも笑顔で迎えてくれて「酒井くん、がんばっているか。君の笑顔は天使や!」と握手してくれることもとても励みになりました。また、お風呂はぬるめで長めに入るようにすることも心がけ、松本先生からもストレスがたまることはあんまりしない方が良いということで、できるだけ仕事を減らして休むことにしました。あとは、簡単な気功を行なったことやNLPの技術で、不安な感覚がでてきたり嫌なコトバを自分にかけたりしていたときは上手く変化させていきました。できることは何でもやって見ました。そして、特に漢方や鍼灸を信頼していました。

 

 ペンタサも外科手術をしていたときは12錠でしたがいつしか6錠に減って、今は3錠しか飲んでいません。しかし漢方を続けているおかげで、血液検査の数値が圧倒的に良くなりました。CRPについては、先ほどの入院時は3.0を超えていましたが、2010年8月には、1.58 9月には、0.8、でほぼ横ばいが続き、2011年3月でも0.7をキープしています。血沈も2010年8月は32だったのが、現在では18まで下がっています。赤血球も2010年9月は382だったのが、現在は458まで上がりました。体重も53Kgだったのが、57Kgまで太りました。今ではクローン病は治ったといっても良いぐらいの状態を保っています。

 

 あとは、ろう孔についてですが、今のところはまだお尻から便が出てはきますが、ほとんどは人工肛門へと流れていきます。我慢したいときには我慢できるようなコントロールができるようになりました。おかげさまで毎日が楽しく暮らせるようになりました。

 

 私は本当にラッキーでした。もし松本先生に出会わなければ、今頃は経管栄養で感染に怯えながら毎日を過ごしていたかもしれません。また、電車で栄養剤を担いで通勤していたときのように最悪の自己イメージを抱きながら人生を送っていたかもしれません。しかし、今、松本先生と出会ってほとんど症状らしい症状もなく健康に毎日を暮らせることが当たり前のようになってきています。

 

 クローン病の人には、ぜひ松本医院に足を運んでもらいたいです。そうすれば、私のように7度も腸を切る痛みを体験しなくても済む方も何人もいらっしゃると想います。悪いところを取るのではなく、自分の身体が持っている素晴らしい機能を回復させることで、病気を作り出している免疫機能から健康に過ごせる免疫機能に変えていく。免疫機能が身体の状態に影響を与えているのであれば、出てきた結果に対して対処しても根本が変わっていないので、また再発してしまいます。だからこそ、免疫機能に直接働きかける治療の方が効果があるのは当たり前です。私たちの中にある自然治癒力を信じ、もっと活性化させる方向に取り組んでみてはいかがでしょうか?

 

 特に、今までの西洋医学の中で育ってきた私たちにとって漢方を、含めて東洋医学を選択することは勇気がいることかもしれません。しかし、本当に治したい、そう思えたらきっとこの医院はあなたの気持ちに答えてくれるでしょう。この手記があなたの決断の一助になれば嬉しいです。

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 アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。

 患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。 

アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。

 それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。

漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。

 市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。

松本医院の「なぜ」

病気とは何でしょうか?

 病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。

 それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。

アレルギーとは何でしょうか?

 アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。

膠原病とは何でしょうか?

 膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。

アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?

 敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。

リウマチの患者さんの家族の皆様に

 他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。

 そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。

 また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。

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