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潰瘍性大腸炎「中間報告」
病気で苦しんでいる人全てが真実の医療を受けられる事を願って

西村 勇亮 30歳

 

発症

 僕はあまり体が強いほうではなかったのですが、小学生2年生から中学3年生までやっていた野球で体が鍛えられた事もあり、頑丈な体になったと自分では思っていたのですが、お腹はそうはいきませんでした。小さい頃から、結構下痢になったり便秘になったりとお腹のほうはあまり強くなかったと今思えばそう記憶しています。ちょうど今から14年前の事です。当時僕は高校一年生になったばかりで、受験のプレッシャーから解放されて、今から楽しい高校生活を楽しもうと思った時のことです。ある日トイレに行ったら便が少ししか出ず、ひどい残便感で、お尻を拭いたときにうっすら血がついていました。痔だと思い、その場はそのまま放置したのですが、残便感は消えず次第に鮮血が出だしました。残便感がひどい事もあって、気張ったりしていたのですがその影響で、肛門のところが、切れてしまったのかなと素人ながら思ったりもしました。ですが、残便感はおかしいと思って、近くの病院の肛門科で見てもらいました。初めは痔だね、と言われたのですが、念のために肛門鏡で調べようと、肛門科の先生が説明してくれたので、その場で診てもらいました。その時に肛門だけではなく直腸のほうまで赤くなって炎症しているねと言われ、消化器内科の先生に紹介状書いてもらい消化器の先生に診てもらいました。すると、今若い人に徐々に増えてきている病気があるし、内視鏡の検査を受けておこうといわれ、大腸の検査を受けることになりました。胃カメラを飛び越えて大腸の検査を16歳で受けることになるとは、と思いながら頑張って受けました。胃カメラはただある程度の時間絶食したら何も処置しなくて受けることができるのですが、大腸の検査はそう行きません。前日寝る前に、下剤を内服して大腸を便が出やすい状況にして、検査の当日から腸の洗浄薬を内服しなければなりません。14年前のその内服薬はとてもまずく、今はとても改善されているのですが、本当にまずくしかも量が2Lと多く。吐きそうな思いをして飲んだことを覚えています。検査もつらくとても楽な検査とは言えないのですが、頑張って受けて検査結果を担当の先生から聞きました。そしたら、軽いほうだけど潰瘍性大腸炎だねと診断されました。私の場合、発症当時は炎症が直腸に限定していたので、直腸炎型だと診断されました。この病気は欧米に多く、日本ではまだまだ少ないけれども、若い人を中心に増加してきているという事も聞きました。しかもなかなか治らず国の特定疾患に認定されていて、国の補助が受けられるという説明も聞き、役所に行って申請しました。薬代は無料になり、診察代は上限が決まっていてそれ以上は払わなくてよいというシステムでした。その時の気持ちは只々大変な病気になってしまったのだという気持ちで目の前が真っ暗になりました。どうしようという思いと、この先どうしていったらいいのだろうという思いで、病院から帰ったことを記憶しています。

治療の開始

 主治医からは、潰瘍性大腸炎のお薬で坐薬と内服薬を飲み始めました。サラゾピリン坐薬です。すぐに効果は出てきました。出血しなくなり、残便感はなくなりました。国から特定疾患に認定されている病気とは、思えないぐらいの治療のスタートでした。魔法の様に効いた感じでした。イギリスに短期の留学もしたのですが、途中で薬も切れたのですが、坐薬をしなくても薬を飲まなくても、向こうで調子が悪くなることもなく順調に留学生活も送り帰国しました。このままずっと、この感じで行ってくれたらいいなと思いましたが、そうはいきませんでした。ある日風邪を引いたのですが、風邪をひくと同時にお腹の調子が悪くなり、風邪の影響でお腹の具合も悪いのだと思いましたが、風邪の症状が治ったにも関わらず、お腹の調子は下痢が続きました。どうしたのだろうと思い、先生に質問したら、風邪が引き金となって潰瘍性大腸炎そのものが悪くなるという事も聞きました。その時は、サラゾピリンというお薬がペンタサという薬に代わって、副作用がサラゾピリンという薬よりも少ないという事で、潰瘍性大腸炎とクローン病に処方され始めた時期という事を、主治医の先生から伺い副作用が少ないならこの薬を飲もうという事でペンタサを内服し始めました。それから、高校3年間では、症状は行ったり来たり、肛門が切れたみたいに下血をしたと思えば、症状がよくなって普通の便のときもあり、症状が落ち着いているのかどうか、わからないような期間が続きました。でも、治らないという不安はいつも頭の中にあり、常日頃から病気の事を考えない日はありませんでした。大学受験のときは、それほどストレスはかからなかったみたいで大きく体調を崩すことはなかったのですが、でも自分ではストレスはかかっていないとは思っていても、実際体にはかかっているのかもしれません。病気を発症した時には、僕の場合そんなにストレスかかったとは思っていなかったのです。大学は自分の志望としている所には入れず、常にもう一度再受験するといったことばかり、考えていました。それが精神的に体に負担をかけていたのかもしれません。大学2年の時に、今まであじわったことのないほど、つらい状態になってしまいました。下痢になり普段なら普通に過ごしていたら、回復していくところが全然回復せず、逆にひどくなっていくばかり、下痢の回数が一日20回を超えるほど、食欲はもちろんなく体重が一週間で10㎏ぐらい減りました。熟睡はできず寝返りしたらトイレに行きたくなり、起きているときには何回もトイレに行くことしか考えられなかったです。幸い血便はなかったと記憶しているのですが、一日20回を超えるほど下痢をすると体力もなくなり、何もする気もなくなり、もうつらくて死にたいくらいでした。この時に初めてステロイドを使用しました。魔法の様に効いたことを覚えています。すぐに効果は現れ、便の回数は劇的に減り、有形便出るようになり、一安心。でも、ステロイドは体には良くないと先生が説明してくださり、長期間は使えないと釘をさされました。僕も自分で勉強し、ステロイドの副作用やステロイドを止めたときのリバウンドが必ず現れるから医師の指示のもと服用し、徐々に減量することが書かれてありました。幸い僕の場合は主だった副作用やリバウンドは現れずにステロイドから離脱することができたのですが、僕のわからない、目に見えないところで出ていたのだと思います。このころから、症状が段々ひどくなっていきました。以前の様に切れるといった下血ではなくて、コアグラといったグミみたいな凝塊血が出たりするようになってきたのです。主治医にすぐに相談すると、潰瘍性大腸炎の患者さんの場合、悪くなるとすぐに、あっという間に悪くなるよ、重症度の差もあるけれど出血もすぐに出てしまうよ、と説明を受けました。ストレスかけたらだめだよと詳しく説明して下さいました。リンデロン坐薬(ステロイド配合)の坐薬もしましたし、悪くなったらその都度症状を抑える、ストレスを体にかけない。食事は普通のときは、ほとんど気にしなくて良い、でもファーストフードやインスタントの食べ物はとらないといった生活でした。でも一旦悪くなりだしたら、僕の場合、日常生活に、いくら気を配っていても全然良くならず、大変でした。その様な生活で、大学4年間が過ぎ去ろうとしていたころ、大学院の試験を受けるか就職するか、今まで考えてきた再受験を考えるという時期に入りました。僕は理系の大学に行っていたので、就職は大学院を卒業しなければならないとまで言われていたので、就職の選択ははずしました。大学院の試験は無事に合格したのですが、再受験をしたいという気持ちは、湧いてきました。

 こんな病気にかかり、難病とまでいわれる病気を徹底的に勉強してみたいと思い、医学の再受験を考えていました。でも大学4年生の一年間は、大学院の試験の勉強と卒業研究とで大変で、難関と呼ばれる医学部の受験は一応したのですが、失敗しました。ですが、大学院にはもうこの頃には行く意志はなく、病院で働きたいと思い医学部医学科はだめだったのですが、看護学科には合格したので、看護学科に、病気のことや人間の事を勉強するつもりで入学しました。病気のほうは、ストレスがかかる受験の時には全然症状がでなかったのですが、やはり一呼吸置いた入学してしばらくしたら症状が出てきました。いきなり凝塊血が出てきて、貧血症状がでました。この時はすぐにステロイドを使うところまではいかなかったのですが、やはりストレスをかけると下血、凝塊血までいくのだなと思いました。看護学科4年間は充実して色んなことを学ぶことができました。大学で学ぶ病気のことや、病院の実習で学ぶ患者さんのことなど人生にとって貴重な経験がたくさんできました。同じ潰瘍性大腸炎で大学病院に通院されている患者さんや入院している患者さんと接することもできましたし、大変学ぶことが多かったです。でもなぜこんな病気があるのだろうと、病気のことを学んでいけばいくほど、疑問に思いました。どの先生に聞いても、この病気は、病気になってからの作用機序は、ある程度わかっているにも関わらず対処療法しかなく、原因もわかっていない。なぜだろうと疑問に思いました、原因は諸説医学界で言われているのらしいですが、決定的なところまで説明できないそれが常識でした。とんでもない病気になってしまったものだとつくづく思いました。そんなときです、長年僕を見てくれていた主治医の先生が転勤で京都を離れることになったのです。丁度その頃、僕の症状は落ちついていたので、先生を追いかけて行くことはしなかったのですが、大変心細い感じになりました。主治医の先生からは、住んでいる家の近くの大きい病院に紹介状を書いていただき、通院することになりました。この病院は大きい病院なのですが今までの先生とちがって、あまり潰瘍性大腸炎にくわしい先生ではなかったみたいです。看護師として働きはじめて一年目の冬に体調をくずして下血がひどく入院することになりました。この時が人生で一番ひどく悪化しました。ヘモグロビンの値が健康な人の値よりも半分ぐらいになりました。立っていることができず、ストレッチャーで運ばれて検査に行きました。大腸の検査をうけて直腸のところから血が流れ出ていました。カメラ越しに見ていると僕でもわかりました。ペンタサの量を増やしたのですが全然効果がなく、日毎に悪くなり、体重は5日間で10㎏減少しました。この時ばかりはこれから僕はどうなるのだろう、と病院のベッドですごしていました。ペンタサではどうしようもないので、ステロイドの治療が始まりました。1日40㎎から始まり、症状が治まるまで安静に過ごすということです。前回のステロイドを使った時より、時間が十分に経過していたのでまたすぐに効果が現れ、服用して翌日から血便はとまり3日間もすると、普通便が出るようになりました。そしてここから40㎎より、徐々に減量を始めていくことになりました。ステロイドの量が20㎎になると、退院もきまり仕事にも戻ることもできましたが、ステロイドの量が5㎎になったときには、前回は目に見えたリバウンドは来なかったのですが、今回はあらわれました。初めは、ゆっくりと腹痛が生じて下痢になっていましたが、それが暫くすると、強烈な腹痛が定期的に襲ってくるようになりました。便は水様便で10回を超えるぐらいになりました。こんな腹痛は初めてでした。腹痛が強くなり始めたころから、水様便と今度は下血と凝塊血がかなり出てくるようになりました。このままではまた同じことで苦しむと思い、早めに主治医に相談し、入院することにしましたが、治療方法はステロイドをまた使うと減量をするとまた同じように苦しむと思い、別の方法はないかと相談しました。症状は入院しても良くならず、貧血もひどくなり、今度は輸血しようということになり、輸血をしました。自分が輸血することになるなんてと思い、非常にショックを受けたことを覚えています。それに加えて、免疫抑制剤を使う事になりました。この免疫抑制剤は劇的に効くことはなく、ゆっくり効果が現れるものでした。結局、この免疫抑制剤が効いたことで、症状が落ち着いたので退院となりましたが、ただこれもその場しのぎの対症療法にしかすぎず、これからも不安がずっとついて回るのだな、と思うと本当に憂鬱になりました。このままでは、また悪くなった時には、またステロイドか免疫抑制剤かどちらかを使うことになり、入院しそれでその薬剤からの離脱に苦労をする、それの繰り返しに過ぎなくなり、本当に使う薬がなくなってくるのではないか、という危機感がわいてきました。どうしたらいいのだろう、これからの人生ずっとこんな思いをしながら、暮らしていかなければならないのか、と思うとやり場のない怒りが込みあげてきました。このままではだめだと思い、なんでもいい何か全然違う治療方法はないかと本屋やインターネットで、探し始めました。潰瘍性大腸炎の患者の会や、色んな情報がありましたが、パッとするものはなく、あきらめていたところ「潰瘍性大腸炎の完治」というワードと漢方というワードに意識が向きました。今まで試したことが無いと思い、そしてホームページを読みました。初めは全然漢方のことは全然信じていなかったのですが、よく読んでみると潰瘍性大腸炎の患者さんで完治した手記や、先生が潰瘍性大腸炎の病気の詳しい内容が書いてありました。むさぼるように読み、これだと思いました。

松本先生との出会い

 ホームページをしっかりと読み、東洋医学と西洋医学の融合であると自分で理解し、納得してから松本医院を訪ねました。初めて医院に入った時の印象は他の方が書かれている手記に出てくる内容とそんなに変わりません。ですが、僕の目に最初に飛び込んできて印象に残ったのは「潰瘍性大腸炎とクローン病の方は必ず先生の指導の下に針治療を受けてください」という張り紙でした。この内容を見て、ここで間違いないと思いました。他の患者さんも同じことを感じていると思いますが、大きな病院や大学病院とかではこんな張り紙はありません。堂々としっかり書いてあるということは、松本先生は今まで大勢の潰瘍性大腸炎やクローン病の患者さんを治療して来られた経験があり、かつ完治させてきた経験があるという事なのだと直感しました。その様なことを僕が思うほど、大きな病院などでは潰瘍性大腸炎やクローン病の患者さんへ、等といった難病に特化した張り紙はありません。昔とは違い、両方の病気はどんな先生でも知っている病気にはなってきたと、ある医学書には書いてありましたが、しっかりとこの病気のことを深く理解して、治療にあたっている先生はどれほどいるのだろうと、甚だ疑問に思います。僕の場合は一番初めに僕を見てくださり一番長い間僕を見ていただいた先生は良かったのですが、次の先生もその次の先生も全然頼もしくなく本当にこの病気について、詳しく知っているのと疑問符が付くぐらい僕の中では、信頼感は全然ありませんでした。ごくごく軽症の患者さんで症状がほとんど出ないぐらいなら、それでも上手くやっていけるでしょう。国が定める潰瘍性大腸炎とクローン病のガイドラインも存在しますから、症状を照らし合わせて治療を開始したら良いだけだと思いますが患者の立場からみたらそうは全然いきません。全然良くならないことも多いですし、本当にこれで良いのか、僕の場合はこれでは、全く症状は長期間落ち着いたことはないし、症状を落ち着かせることに苦労してきました。一旦悪くなると止めどなく悪くなり、どん底まで行って回復してくるといった状態でした。初めて潰瘍性大腸炎やクローン病になった患者さんでは、ガイドラインにそって治療をしても効果はあるでしょうが長年苦しんできた患者では、ガイドラインに沿った治療では全く効果がでないのがほとんどだと思います。全てやれる薬は全部使って症状が落ち着いた時にはいったいどの薬の効果があったのか、全然わからないといったことが多いと思います。僕だけではなく、重症で苦しんで最後の最後に、松本先生のところに行きついた患者さんは少なくないはずです。いやほとんどだと思います。軽症で松本先生を見つけることができた人は非常に幸運です。

松本先生の治療の理論にふれて

 実際に先生がインターネットで書かれている論文を、自分で実際に読んで本当に驚きました。本当にきめ細かく記載されているので、初めて読んだときは何が書かれているのかわからなかったのですが、自分なりに勉強し何が書かれているのかが、ちょっとずつ理解出来てきました。読んでいて本当に感銘をうけたのが、自己免疫性疾患などは存在し得ないという事、免疫を抑制されている限り、絶対に完治などはしないという事です。先生が書かれている文章を読んで、腑に落ちることがあまりにも多かったのです。今まで僕は、治療という名のもとにされてきた処置はその場しのぎの対処療法で、医師からの説明は上手くこの病気と付き合っていかなければならない。この言葉がどんなに今まで、僕の心の中に重く響いてきたことか、本当に闇でした。調子が良い時でも、心のどこかで病気と付き合っていかなければならない、このことが足かせとなり全力が出し切れなかったことが、山ほどありました。確かに病気を言い訳にすることは嫌なのですが、病気なのですから仕方ありません。どれだけ病気ではなくて、本気で物事に自分の持てる100%を出し切って、例え自分にとって満足いく結果でなくても、言い訳出来ないそんな状況をどれだけ夢に見たことか。病気のプロセスやなぜこの病気になるか、などは先生が書かれている論文を読んでもらったら一番わかりやすいと思います。よって、僕にとって印象に残ったことを書かせて頂きます。


1. 潰瘍性大腸炎のIgGを用いる場所は大腸の粘膜の結合組織であり、リウマチの戦いの場所は関節の結合組織であるという違いがあるだけで血液検査を行えば、潰瘍性大腸炎もリウマチも全く同じデータがでる。
2. 本来アレルギーのIgEで除去すべき異物をIgGで処理しようとするのは、やはり免疫を抑えるからということで、潰瘍性大腸炎の場合は特に強いストレスを受けた若い人達によく見られるという事。
3. 職場の人間関係や学業の不振や自己の才能に対する不信などの葛藤などが引き金となり、心の異物との戦いをやっている間は、肉体の異物との戦いを行う免疫系を一時的に抑制し、全てのエネルギーを心の異物に向け、気が抜けてリラックスしたときに抑制されていた免疫系のリバウンド現象が出現し、免疫の働きが急激に高まり、アレルギーのIgEを作るには膠原病の抗体であるIgMやIgGを遺伝子学的に大量に作り出さざるを得ないので、作り出されたIgMやIgGが腸管で用いられると潰瘍性大腸炎となり、つまり、同じ死んだ異物をアレルギーですぐに出すべきものを、免疫を抑制されたためにIgMやIgGの膠原病の抗体を作ってしまうという事。
4. IgMやIgGは殺すべきウイルスや細菌に対して作られるものですが、殺す必要がない化学物質に対しては免疫を抑えない限りは体は必ずクラススイッチをしてIgEを作るようになっている。だから、免疫を抑えずにクラススイッチを待てばよく、その間粘血便や下痢や腹痛を軽減する治療をすれば、自然とIgEで処理をする様になり、腸管内に炎症が生じなくなること。
5. 免疫をあげるには鍼灸をやって、漢方生薬を服用すること、薬では免疫は上がらない。免疫をあげればクラススイッチがおのずから生じ、アレルギーとなり、最後は免疫寛容を起こすことが出来るのだということ

 1~5の事を読んで本当に理にかなっている、まさにこれだと驚きました。先生はご自身の論文の中で、リウマチは潰瘍性大腸炎やクローン病とは兄弟病であるという事も述べてらっしゃいます。正にその通りだなと思いました。なぜかというと職業柄、僕は今日の治療薬という本で薬の情報を得ているのですが、リウマチと潰瘍性大腸炎やクローン病の治療薬と重なっている部分があります。つまり、同じ膠原病であり、症状が起きている場所が違うだけなのだという事。例を挙げると、どちらも免疫抑制剤なのですが、レミケードやプログラフなどはリウマチでも潰瘍性大腸炎やクローン病でも使われる有名な免疫抑制剤です。同じ膠原病なのです。僕は、今までの他の先生からは潰瘍性大腸炎やクローン病が膠原病であると説明はうけたことはありません。このこと一つとっても、今までは全然そんな事は先生からは知らされなかったし、私自身が無知でした。もっと勉強すべきでした。普通の病院では潰瘍性大腸炎やクローン病は、消化器内科で診察され、リウマチは膠原病科とか整形外科やリウマチ科などで診察されます。今挙げたどの病気も、松本先生のような免疫を熟知し、その豊富な経験を生かした真の免疫の臨床医が診察すべきだと思います。確かに、症状は腸管や関節といった全然違う場所で起きますが、根治させることが出来るのは原因やそのプロセスを熟知している真の免疫科とでもいうべき松本先生でしか治すことが出来ないと私は思います。

 

実際の診察を受けて治療の開始

 実際に初回の診察を受け、まず初めに看護師さんから松本先生がどのような治療をされているか説明を受けました。血液検査を受けてその項目の詳しい説明を松本先生から受けました。今までの病院ではこんなに詳しい血液検査の項目はありませんでした、CRPや血液一般検査や肝機能の検査、腎機能の検査はあったとしてもIgG、IgM、IgA、蛋白分画α1、α2、β、γ、抗核抗体、あとリンパ球など普通の病院ではまず受けない詳しい検査の項目の説明を受けました。先生は初回の僕の血液検査のデータを見て瞬時に、膠原病の特徴がきれいに出ているよと言われました。また、今まで行ってきた処置によって免疫を抑制されてきたために、リンパ球がかなり減少していると言われました。また、抑制されてきた免疫をもとに戻すために必ずリバウンドが起きるよと言われました。僕も先生の論文を読んで、今まで先生と真逆の処置を行ってきたのだから当然だと思いました。でも、先生は手を握って必ず治すから安心してついて来てな、とおっしゃってくれました。どんなリバウンドが出るのかと考えると心配でしたが、これで治るのだと思うと本当に嬉しかったです。初回の診察では今まで飲んできたペンタサと同じ作用のアサコールを毎食後2錠と免疫抑制剤イムラン朝1錠飲んできましたが、いきなり全部服薬をしないようにと言われました。これには流石にびっくりしましたが、松本先生を信じるのだと思い翌日から指示のもと全部やめました。そして、漢方を煎じて飲み始めましたが、匂いは強烈でしたが、味はそんなにまずいとは感じませんでした。そして2週間に一度先生の診察を受け、鍼灸の治療を受け、漢方を処方していただく。あと月に一度血液検査を受け体調を見るという事になりました。

現在の状況

 

 14年間飲んできたペンタサとアサコールや既存の潰瘍性大腸炎の薬の服用を中止してから5か月になりますが、嫌な腹痛はありませんし、血便はありません、ただ、まだ軟便は続いています。血液データもまだまだ完治とまでは言えませんが、必ず完治すると思います。現に完治されている方もいらっしゃいますし、今まで服用してきた薬をやめても症状は悪くなったりしていません。むしろ落ち着いています、ただこれからも治療の段階でリバウンドが出るかもしれませんが、「完治するよ、必ず治るから」と言ってくださった松本先生を信じるまでです。だってリバウンドを乗り越えれば完治が待っているのですから、僕のせつに願ったものです。それに入院の時に出ていた嫌な腹痛、水様便、下血、血便はありません。快方へとむかっていると自分自身の体でわかります。軟便でトイレの回数も4~5回と多いですが順調に経過しています。最後に他の患者さんの参考になるかわかりませんが、初診日から現在の僕の血液データを添付しておきます。これからも更新の度にデータも新しくさせて頂きます。これが僕の現在の状態です。自分の体調の変化なのですが相関関係がしっかり出ていると思います。自分自身の感覚では、ちょうど松本先生のもとに通院してから5か月目に1回目のリバウンドが出たかなと思いますが、CRPの値もそれ以来減少していますし、それは身をもってわかります。 この手記では残念ながら中間報告とさせて頂きますが、完治として報告させていただけるように、治療に専念していきたいと思います。

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漢方科 松本医院について

ホームページについて

 アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。

 患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。 

アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。

 それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。

漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。

 市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。

松本医院の「なぜ」

病気とは何でしょうか?

 病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。

 それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。

アレルギーとは何でしょうか?

 アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。

膠原病とは何でしょうか?

 膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。

アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?

 敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。

リウマチの患者さんの家族の皆様に

 他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。

 そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。

 また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。

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