
「リウマチ アトピー手記」
タテマツヒロミ 55歳 2011年4月11日
身体の真実と真実の医療(ストレスとリウマチとアトピーの記録)
2010年3月のことです。
前年からの湿疹が腕全体に広がり首までもが痒くて真っ赤になった時、「松本先生のところへ行こう」と、心に決めました。私の中の解決されていない「なぜ」を解く鍵がそこにはある、と直観したからでした。
「なぜ今またアトピーなのか」ということ。そしてそれ以上に、この一年半、立て続けに起こった身体の不調は何なのか。それまで心の世界ばかりに目を向けてきた私にとって、11年前に出会った松本先生の免疫理論とアトピーの治療は、単なる病気の治療にとどまらず、私の身体への意識を変え、生き方さえ変えた大きな出来事でした。心と身体、その変化や流れをつかんでいたい。私の身体のほんとうのところが知りたい。その思いは私を松本医院へ向かわせました。
2010年3月13日が初診でした。
10年ぶりにお会いした松本先生は、穏やかな「気」で包まれていらして、他者を受容する大きさが増して、どこか達観されたようでもありました。
先生がずっとお変わりない姿勢で、患者さんの身体に尋ね、真実を求めて研究を続けておられる姿を前にして、やはり私には込み上げるものがありました。
母の手のアトピーや息子の喘息も治していただいたこともありました。先生は星の数ほどの患者さんを診ておられるにもかかわらず、おそらく私の以前の手記があることで、私を思い出してくださったようで嬉しくて、しばし再会の感慨に浸りました。
今回の私のアトピーを診察された先生は冗談っぽく「僕と会わない10年の間に浮気したやろう(ステロイド塗ったでしょう)」と言われました。 「いいえ、ステロイド剤は一切塗っていません」と私。「10年何もなかったのに、どうして・・・」私は心の中で、決してステロイドは塗っていない、 とつぶやくうちに、はっとしました。注射をされたことがよみがえってきたのです。ステロイドは注射が最もよくない、とは以前松本先生から学んだ基本的なことでした。 「関節注射でも影響は強いのですか。」と愚かな質問をした私は、「当然です。最もよくない」と言われてしまいました。やっぱり、と悔やまれるあの注射です。この時先生には、過去の出来事として、昨年の膝痛の時と手の指の根元が痛んだときに整形外科へ行って注射を受けた事などをお話しました。 そう。何事もなければそのままスルーしたかったあの時の注射ですが、私の身体にはしっかりと刻まれていて、この一年、免疫が抑制された影響やリバウンド現象は確かに思い当たるものがありました。 これで今回のアトピーの原因がわかったような気がしたのですが、やはり問題はそれだけではありませんでした。
この日の帰り際「あなた、こむら返りはありますか」と先生が尋ねられました。「それはないのですが」と、私は朝起きたとき手がこわばって指が開きにくい「ばね指」の症状がある事や、以前は膝がもっと痛かったこと、現在は股関節が少しぎくしゃくすることなどを、簡単にお話しました。 しかし、足がつることや以前の身体の痛みが、今回のアトピーとどう関係しているのでしょう。今の私はといえば、アトピーがワッと噴き出しているのです。
先生のお話では、私は「リウマチ」ということでした。「リウマチ」という言葉は聞いたことはありましたが、自分には関係のないものと思ってきました。今思うと僅かな問診でよくぞみつけていただいたと幸運に思うのですが、その時はびっくりしました。アトピーでリウマチ。私はリウマチなのか。私は未知のものをすぐには受け入れ難く困惑しました。(すみません。リウマチのページはこのときは読んでいませんでした。)その日は血液検査、尿検査、お灸の指導を受けて帰りました。
帰宅するとすぐアトピーとリウマチの両方の煎じ薬のを飲む生活が始まりました。数日後にはやはりアトピーの症状は激しくなり、内側から突き上げてくるような炎症とかゆみに襲われました。「リウマチ」を知らなくてはと思いましたが、その一方で私の生活は今だかってない程の「痒み」に圧倒されることとなり、考えたり洞察したりという行為ができなくなり、自身とリウマチに向き合う余裕がない状況に突入しました。
2010年3月
アトピーの部位は両腕と首だけなのに「痒み」は激しかった。
料理、掃除、片付け、整理、考えることは、集中力が必要でできなかった。
人と話すこと、じっとしていることも長くはできなかった。どこにいても、
昼も夜も、「痒い」以外は何もなく、夜も眠れない。睡眠がとれず、体力気力が弱り頭痛も続いた。このままでは仕事には行けない。3月末頃、先生に訴えて睡眠導入剤を出してもらった。以降、夜中に痒みで目が覚めて、掻き続けて眠れない時に、頓服として服用した。
2010年4月
炎症と腫れの後、皮膚が乾燥してひび割れるが、その上にまた新たな炎症と腫れが来て、と繰り返す。遠慮なく掻きむしると汁が出たり、ぼこぼこに腫れた。壮絶な痒みと痛みで気温が暑さ寒さがわからなかった。
そんな中で二種類の漢方を煎じて飲んで、仕事に行って人に笑顔を向け、
朝晩風呂に入って薬を塗ってケアして、お灸をして、眠って、と大変な日々であった。普通なら出ていってもとても仕事にならないのだが、娘がほとんどの準備をやってくれ、カバーしてくれた。おかげで、私はとにかく休まずに、
私にしかできない仕事のみをこなしていく事ができた。
何かをやろうとすると、思いとは裏腹にほとんどの事ができないことに気がついた。
2010年5月
まだ私の抗体は闘っていた。仕事が終わると、緊張が緩むのか痒くてたまらなくなる。夜仕事を終えた帰りの車の中、誰もいない時間である。掻き始めるとウァーと止まらず10分15分と掻き続ける。
「今日よりも明日」とは言えない、底が見えない日々であった。「必ずよくなるアトピーの治療している」と、嘆かず淡々としていたのだが、時々ツツーと涙が頬をつたった。脳まで痒みで侵されている気がした。パソコンには向かえず、文を書くことは簡単な書類でさえまとめることが難しかった。
しかしそんな中、私の慢性化していた股関節の違和感が消えていることに気づいた。それは嬉しく驚きでもあった。起床の直後に必ずこわばり、開く時に引っかかっていた左手の中指も、先生から指導されたお灸を続けてよくなってきた。
2010年6月
「消えない火事はないんだから」と自分に言い聞かせてきたのだが、やっと昼間の痒みの質が変わってきた。内側から突き上げてくるような狂おしいものではなく、表面がたまらなく痒いというもので、角質を掻き落とすことに気持ちがいいという感覚も混ざってきた。底を見た気がして嬉しかった。
それでもよく掻いた。一生のうちでこんなにも掻くことはないだろうとも思われた。
しかし昼間の仕事中、痒いことを忘れていられる時間がでてきた。睡眠導入剤もこのころから使用しなくなった。
2010年7月
松本医院の診察を受けた。「見違えるような(いい)表情になった」というようなことを言われた。
この頃から痒い時間があきらかに減ってきた。しかし痒いことには違いなく、夜中に気づくと腕を布団から出して天井に向けて上げ、もう片方の手でバリバリと掻いていている音に気がつく。止まらなくて何十分も掻きむしった。爪の先のほうは、毎日ざらざらの皮膚を掻くことで、まるで細かいサンドペーパーで磨いたようにつるつるになっていた。
掻いて傷だらけになろうとも以前よりずっと幸せな気分だった。生きる力が湧いてきた。一日に一ミリずつ位であるがよくなってきていると実感できた。身体はどこも痛まない。
2010年8月
やっと仕事の事や明日の事を考えられるようになった。お盆には娘夫婦、息子夫婦たちが集まり、久しぶりに料理の腕を振るった。
2010年9月10月
症状が楽になってきたら、二種類の漢方をきちんと飲むのが大変になってきた。腫れや肥厚も引いてきたが、炎症の後遺症としてまだらな皮膚が両腕に残った。色素沈着した黒っぽい皮膚と白い皮膚が牛の体のようにまだら模様をつくっている。それでも、骨の髄まで痒くて辛かったあの頃に比べると天国のようだった。ただこうしていられることだけで幸せに包まれる。松本先生とすべてのものに感謝が湧いた。
このころリウマチの薬が出なくなりアトピーのみとなった。血液検査の数値はまだよくないようだった。松本先生ありがとう。西に向かって手を合わせた。
まだ痒いには違いないが、壮絶な痒みからは脱した今、持ち越している2008年からの身体の変化のことや解決していない私の「なぜ」について向き合いたかった。松本医院にかかるということは、過去に私が自分の身体にしてきたことを認め、私の身体に起こるすべてのことを謙虚に受け入れて先生の理論と共に真実を探していくことです。私はそれを選択しました。
そして再び松本医院のホームページを開きリウマチの理論を読みました。患者さんの手記は様々なケースがありながらも、すべてはひとつであり、松本先生の免疫理論のとおり治癒されていて、たくさんの患者さんが治癒している事実で実証されていることを知りました。 11年前のアトピー患者さんが多かった頃から比べると、リウマチと、やはり難病といわれるその他の膠原病も次々と治していらっしゃる事で研究が深化されている事がわかりました。そこには、一般の現代医学の常識からすると、仰天するようなすごい世界がありました。 松本先生の理論を軸に、私はもう一度、このアトピーになるまでの流れたどっていくことにしました。私は、私自身の体験を通して検証していくことが必要でした。
2008年 8月
生まれて初めて右膝関節が痛み始めた。今まで身体が痛むことがなかった人間にとってこれは苦通なことで、本やネットで調べて膝痛体操をしたり、筋力を鍛えようとしたり、サポーターを付ける事で乗りきろうとした。しかし次第に、階段、トイレ、起き上がる、座す等、膝の屈伸が加わる動作のすべてができにくくなる。そのうち腫れて平静時も痛むようになってきた。
2008年 11月
がまんを重ねてきたがとうとう整形外科を受診した。レントゲンを撮り、注射で水を抜いて、そのあと注射をした。注射が効いたのかすっかり痛みがなくなった。
2008年 12月
起床した時、右手がこわばる。中指が開きにくくて第二関節でひっかかる。昼過ぎるとこわばりは取れるが毎朝繰り返しこわばるのが続いた。さらに、中指付け根の下のぐりぐりのところが痛み出した。平静時も痛むようになり次第にひどくなった。
手を使って描いたり造ったりする事で成り立っている仕事をしていて手が使えないというのは困る。何とかしなくてはと思った。
2009年 1月
膝の時と同じ整形を受診する。
「ばね指」で、腱鞘炎の一種だという。3回くらい注射をして、それでも治らなかったら手術をするということで、その日は一回目の注射を受けた。幸いその注射はよく効いてたちまち痛みが治まった。
これも後で尾を引くことになるステロイドの注射だったに違いない。右手ほどではないが左手の中指も痛かったが、その後二度と受診することはなかった。
膝のときも指のときも、こんな時に使いそうなのはステロイド剤なのではないか、という恐れがよぎったが、それは意識せぬようにして、注射はなかったことにしたかった。
しかし身体はごまかせない。しっかり覚えていてその後「正しく」反応していった。私の潜在意識にもあの一瞬の恐れは刻印されていた。
2009年 4月
そうしているうちに今度は左膝が痛くなった。日常の立ち振る舞いがスムーズにできないし歩き方が不自然になる。
2009年 5月~6月
風邪の症状が長引き咳が続いたので内科を受診した。その症状に処方された薬を2週間くらい飲んだ後、身体中に蕁麻疹が出て、その後激しい腹痛と嘔吐、下痢で一晩苦しんだことがあった。
その一週間後、寒気、アブラ汗、呼吸がしにくい、目の前が暗くなっっていくといった症状が出て、病院に運ばれたことがあった。その後、またそうなりそうな気がして、意志でコントロールできない症状におびえた。内科では予期不安による症状ではないかといわれた。
私はこんなに弱かったかしら。自分の想像を超えたところで私の身体で何が起こっているのだろう。いつだって私は自分の流れやつながりを捉えていたいのに。次々に起こる理由のわからない症状は私を不安にした。
2009年 7月~9月
体調は落ち着いたが健康に自信がなくなっていた。車ばかりの生活を反省し、運動することにした。
せっかく運動を始めたのだが、かえって左膝の痛みがひどくなってきた。しかし整形には行けないので、膝用サポーターや膝痛体操でしのごうとしていた。
2009年 10月
頭皮が痒くて赤くて掻くとたくさんのフケが出た。抜け毛も多い。しかも部分的にびらんしていて、掻くとじっとり汁が出るのだ。これも初めてのことだった。
こういう時の皮膚科の治療法はわかっているので、決して行くことができない。
ネットで同じ症状の人を探すと、皮膚科に何年も通っているが治っていないという人の書きこみばかり。自分でどうやって治そうか。私は大いに困った。
2009年11月
私は「頭皮にカビ菌が増えている」と仮定して、菌ごと洗い流す方法を試した。皮膚科に頼れない以上、たとえ間違っていてもやってみるしかなかった。
ゴマ油に殺菌力のある精油を混ぜたもので頭皮をよくマッサージして、シャンプーする。朝晩二回を3ヶ月毎日繰り返した。
2009年 12月
膝や股関節が痛いのをかばうため不自然な動きをしていて、ある時グキッと左膝に激痛が走った。この時は接骨院の施術を受けた。激痛は治まったがぎくしゃくした違和感は消えなかった。
年末に腕に湿疹が出た。
2010年 1月 股関節や膝がぎくしゃくする。接骨院に何度いっても改善がみられなかった。 頭皮がきれいで健康になった。シャンプーは一日一回でもよくなった。
2010年 2月
昨年末からの腕の湿疹がひどくなってきた。
2010年 3月13日
湿疹が腕全体と首に広がり、松本医院へ。
わたしは明らかにリウマチでした。松本医院のホームページに学び身体の事実を追ってみると、自分で気づかないで、リウマチであったことがわかりました。先生のリウマチの論文はそれをしっかりと教えてくれました。そして松本免疫医学の中ではリウマチが治癒していく過程で大切な部分である、アトピーへ「クラススイッチ」があるというのです。 私の場合、整形外科ではリウマチとの診断はできず、血液検査さえしませんでした。私の「リウマチ」は誰にもリウマチと認められることなく、アトピーに移行していました。松本医院を訪れた時には、それがすでにクラススイッチしてアトピーに変わっていたということでした。 免疫学的な見地から身体の症状をつながりで捉えられている、そして完治の理論を確立されている松本先生だからこそ、すでにクラススイッチしているリウマチを見つけていただけたと思います。これが、今回私が松本医院に向かった意味であり、とても幸運なことであったと思います。 私に残っていた身体の「痛み」は松本医院の免疫を上げる治療で見事に消えてしまいました。
2008年から、松本医院の初診を受ける2010年3月までずっと続いていた私の不調は決してばらばらではなく、リウマチ、クラススイッチ、アトピーとそれぞれがつながっていたということでした。これは、まさに私が確認したかったことでした。 それではその「リウマチ」には、なぜなったのか。 答えをみつけるきっかけは安江幸代さんの手記と先生のコメントにありました。安江さんが松本先生の下でリウマチを完治された手記はほんとうに感動的であり、読むだけでその方の生き方が伝わるものでした。私ははっとする箇所があって、すぐにもう一度、先生のリウマチの論文やコラムを読みかえしました。 「長期に渡りストレスがかかっている人は、神経的にも肉体的にもそのストレスに耐える為に、自分の副腎髄質からアドレナリンを出し、さらに副腎皮質からステロイドを出し続け、結局自分自身で免疫を抑制することになり、 リウマチになる」ことがあるというのです。
アレルギー、ストレス、過剰なステロイドホルモンの分泌、免疫抑制、 リウマチ、クラススイッチ、アトピー。 すべてがつながり、私の最も知りたいことが解決されました。
リウマチになる前の二年間、2007年2006年はたいへんな時期でした。 精神的な葛藤が多く常に強いストレスがかかった状態でした。理由がわからぬまま落ち込み、苦しくなる。前に進めない。このままでは生きていけない、くらいに追い詰められていました。私は、心理学、書物などあらゆる方法に求め尋ねて、自分の中の真実をみつけようとしていました。
やっとわかったことは、すでに終わっていると思っていた「離婚」の傷が自分自身を苦しめていたということでした。子どもたちはすでに大学に進み、 社会人になっていたし、私も小さい土俵ながら好きな仕事を始めていたので、「いまさら」と自分でも驚きました。 私には「離婚」当時の傷と、離婚した事で子どもに対する罪悪感があって、 それらを心に閉じ込めたまま、無意識に自分を責め続けて生きてきたのです。 それらが私を苦しめ、その時の傷ついた感情が外に出たがり癒されたがっている事に気づき愕然としました。 子育てに仕事にと懸命だった私は、その時々の自分の気持ちを素直に受け止めることもできず、ただ前だけを向いて、強い母を演じていかねばなりませんでした。心細い気持ちも辛い思いも、意識したとたんにそのまま底に沈み込みそうで、自分の意識の表層に感情を出せず、心の奥底にぎゅっとしまってきたのでした。弱い私。罪悪感に苦しむ私。そんな過去の私と向き合い、その頃の自分の感情に寄り添い、当時の自分と一緒に泣くことで癒しました。今まで決してできなかった「頑張ってきたね」という自分へのねぎらいも初めてできました。
自己受容。古い傷が癒され、自分のありのままを受け入れることができた瞬間、生きることがとても楽しいことに思えてきました。 人の心というものも、身体と同じように、激しく葛藤すると諦観の境地に達して急に楽になるという「免疫寛容」が起こるのでしょうか。
2008年、私の長い夜が明けると待っていたかのように子どもたちは結婚しました。 私も、長年の呪縛から開放され、心は軽やかでゆったりと自分を楽しんでいきていける、と思っておりました。ところが、強いストレス状況から開放されててほっとした後に、膝の痛みを発症してリウマチになりました。これは先生がいわれるストレスとリウマチの関係にぴったりと合致しています。
しかし、松本免疫理論から学ぶ「リウマチ」とは、決して恐れるものでなく特殊なものでもなく、誰もがかかる可能性があり、必ず治るものなのです。 そして人体の英知である免疫という仕組みに学ぼうとすれば、すべての病気は解き明かすことができる。治すことができる。怖い病は何もない。 松本先生はこうおっしゃるのです。人類にとってなんとすばらしいことでしょう。ありがとうございます。ここに至ることと道筋こそが、私が知りたかった「答え」です。 ここへ私を導いてくださった松本先生に心より尊敬と感謝を捧げます。
そして長い不調の終着点としてアトピーが出たとき、松本先生の下へ、と導いてくれた私の直観にありがとうと言いましょう。 その後の私は、2010年の11月から2011年3月にかけて二度目のアトピーの炎症を体験しています。2月3月はスギ花粉にも反応していたのか炎症と痒みは強く出ました。しかし皮膚の表面の痒みなので、ひたすら掻いて角質を落としています。
そして今は2011年の4月。
四六時中掻きまくっていたのが少しずつ収束しつつあります。角質も一通り落ちきって細かい粉になってきました。
アトピーの自然後天的免疫寛容が起きるまでもう少し期間がかかるかもしれませんが、身体に謙虚になり、ゆったり最後まで松本先生とともに自分の身体の変化を見届けたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
以上を私の中間報告とさせていただきます。 中間報告をまとめながら改めて松本医学のすごさを感じています。 先生のお仕事は、ほんとうに人々が望むものであり、時代が追いつき、世界が認めざるを得ない日が近いと思います。 なぜならば真実の医療であるからです。

注目の手記・ブログ
● 「心と体(リウマチさん、ありがとう)」 安江 幸代 56歳
●かあさんくまさんの松本医院のアトピー治療ブログ
(2人娘はアトピっ子。「絶対に治る!」という主治医のコトバを信じ、ステロイドや抗アレルギー剤を使わず、漢方治療をはじめました・・・)
漢方科 松本医院について
ホームページについて
アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。
患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。
アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。
それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。
漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。
市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。
松本医院の「なぜ」
病気とは何でしょうか?
病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。
それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。
アレルギーとは何でしょうか?
アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。
膠原病とは何でしょうか?
膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。
アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?
敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。
リウマチの患者さんの家族の皆様に
他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。
そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。
また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。