
「潰瘍性大腸炎手記」
岩崎 祐次 39歳 2012年1月24日
地獄の扉から天国の扉へ
それは96年の秋に突然やって来ました。腹痛が数日前から続いていたと思つたら、ある日トイレが血で染まっていました。それからの進行が早く2~3日で完全な下痢になり、一日十数回の血便が続きました。当初はその当時大流行していた0-157なのではないかと思っていました。未だ25歳と若く、強気だったし仕事もあったので、しばらく様子をみていましたが、余りに下痢が酷く、渋々病院に診察に行きました。結果「潰瘍性大腸炎です。」と先生から告げられ「0-157じゃなくて良かった」と思ったのも束の間、その後に先生が続けて始めた話が悪夢の始まりでした。「今の医学では一生治りません」「一生薬を飲み続ける事になります」想像を超える様な最悪な話をお医者さんは淡々と無表情で続けました。そして、「ステロイドを沢山使うので1ヶ月程入院してもらわないと危険を伴います」と言う事でした。その日は頭の中で整理がつかなく、よく意味も理解できないと言うよりも、したくなかったので、とりあえずそんな事あるハズがないと、自力で治してみせると病院を後にして自宅に帰り、食事や民間療法的な事で安静にして数目間様子をみていましたが、やはり一日十数回の血の下痢と腹痛に耐え切れず『地獄の扉』をたたいてしまいました。
この最初の入院は、約1ヶ月間でした。最初の一週間を絶食にし、食事の代わりに点滴。薬はプレドニン錠剤、ペンタサ、ステロイドの注腸を使用されました。そのぶんピタッと下痢が止まり、出血もなくなり、退院してからは全て普通の生活に戻りました。お医者さんからは「再燃と寛解を繰り返す病気なので、日々の生活習慣に注意する様に」喉下過ぎれば熱さ忘れる性格と、現実を受け入れたくない思いから、しばらくして直ぐに好きなものを食べて、少々ですがお酒も飲み始めました。
それから一年程経ったある日、また腹痛と共に出血しました。あの恐ろしさが蘇ってきて、それを消し去ろうと慌てて食事を又あっさりした物に変えて、地元の名所である温泉に通ったり、母親から勧められた健康食品等でその場を凌いで誤魔化していましたが、前回よりも悪くなる進行の速度が速く症状も悪化していました。約1ヶ月程何とか耐えていましたが、しまいには一人で立ち上がる事も厳しくなり、母親の運転する車で病院へ直行、緊急入院する事となりました。この時は前回と違う「潰瘍性大腸炎の名医」と地元でうたわれている0病院を知人から事前に紹介され診察を受けました。
0病院院長のM先生は今回はあなたが放ったらかしにしたお陰でかなり酷い状態にあるので、最悪大腸の全摘出を覚悟して下さい」「大腸全摘出をした後は一時は人工肛門にします」「炎症が酷くこのまま寛解したとしても又再熱するので、大腸を取った方が良い場合もありますよ」と瀕死の私に対して過激な言葉を浴びせ続けたのです。更にM先生は続けました。「そうならない為にギリギリまで人体の耐え得る大量のステロイドを使って炎症を抑えます」との事でした。自分はもう腹痛と下痢が耐え難く辛すぎるのと、医学の知識も全く無くもはや思考能力も完全に停止寸前だったので、溺れるものはワラをも掴むとはこの事で、全てM先生の治療方針を受け入れました。
この入院では、点滴を鎖骨の下から入れるIVHを行い、40目間の絶食を余儀なくされました。IVHの点滴では食事の代わりに高カロリーの輸液とステロイド、朝晩の注腸が繰り返されました。毎日モルモットの様にベッドの上で食べる事も飲む事も出来ず、唯ひたすら大腸の全摘出だけは免れたいと天井を眺め神に祈る日々でした。このステロイド大量投与の結果10間~2週間で下痢と出血が徐々に止まり落ち着いてきました。その代償として副作用で顔面は真ん丸に腫れ上がり、目は飛び出し、顔全体はニキビで一杯になりました。鏡で映った自分の姿に悲しくなりました。そして信じられない様な情緒不安定に襲われ、突然涙を流したり、怒り出したり、「奇行」が目立つ事もありました。ステロイドの副作用の恐ろしさは顔の形や体調を変化させるだけではなく、精神もメチャクチャにしていく物だと思いました。
約2ヶ月の入院からようやく自宅療養に切り替えられる様になり退院しましたが、顔の腫れやニキビは中々治らず、3ヶ月~半年かけて徐々にしか治りませんでした。退院してからステロイドからペンタサに薬を切り替えて毎日飲んで、定期的な大腸検査を続けて、食事も消化の良いあっさりした物だけと気を付けていましたが、必ず1年経つか経たないかで、また大腸は下痢・出血・腹痛と再び暴れ出すのです。その時は仕事等でどうしても長期入院は難しく、10日間絶食してまたステロイドを使い、ちょっと症状がなくなったところで無理矢理退院しました。それからも何回も必ず繰り返す事の疑問と、治らない物に何故薬を飲み続けるのかという疑問とで、薬を飲む事を止め、病院に行く事も止めました。そして食事も好きな物を食べる様になっていきました。「発症から10年以内にガンになる」とか散々お医者さんに驚かされていましたが、自分の人生、自分が決めてやると開き直って、どうせ死ぬなら、こんなモルモットの様な人生よりも好きな事をして死んでやると覚悟を決めました。
しかし症状は深刻で辛く、一進一退の生活を続けている申で、2009年春ふと「病気なんて必ず治る方法があるのではないか?」「この世に治らない病気なんてある訳ない」と、自分の今迄の考えを全て否定しました。そして、何かに取り懸かれた様に無意識の内に携帯電話で『潰瘍性大腸炎・完治』のキーワードを入力して検索を始めていました。そしてとうとう、松本医院のホームページにたどり着いたのです。丁寧で説得力のある、今迄全く聞いた事の無い松本先生の理論と沢山の具体的な内容の患者さんの手記を読んで、漠然と「これは絶対に治る」と確信しました。松本医院が大阪で、元々自分が大阪出身な事もあり、大阪人が「商売」で嘘を謳う筈がないと勝手にこじつけました(笑)。そして、2009年夏に初めて松本医院を訪れました。『天国の扉』でした。
遠く九州から遥々やって来たので、開院の1時間前に到着し一番乗りしました。時間が来て中へ入り受付をし、着席している間の約十数分間で院内はみるみる内に人が増えて、30分もしない内に満員状態になりました。その光景を見て鳥肌が立ち「やっぱり大丈夫だ、自分の選択は間違ってなかった」と再度確信しました。診察の時間が来て中へ呼ばれ先生の問診が始まりました。初めて見る松本先生は、スマートな容貌に穏やかな口調で、噂に聞いていた一言「治してあげるよ!」と、固い握手をして下さいました。それから先生の問いかけにこちらが長年の積もり積もった思いを吐き出すと、私の気持ちに呼応してくれるかの様に熱く、時には歯に衣着せぬ過激な口調でお話して下さいました。その様子は、さながら自分の敬愛する大阪漫才の雄、故・天才横山やすし師匠を彷彿させる程の迫力でした(笑)。
全ての診察を終えて、嬉しさから千鳥足で九州へと帰って行きました。しかし、ここからが本当の始まりでした。漢方薬を煮出す時間、煮出した漢方薬の悶絶する程の苦さ、漢方薬を1日3食前後と就寝前に飲む事の手間どれを取っても、やってみて大変な事に気が付きました。最初は、病院に来て薬を貰ってちょっと飲んだら直ぐに治るのだと安易に考えていたので、毎日規則正しく薬を飲んでいましたが、3ヶ月位経っても未だ症状が劇的に変わらない事に苛つき、業を煮やし薬を飲む事を止めてしまったのです。2~3ヶ月位経ったか、薬を飲むのを止めてから、ふと「あれ?オレは一体何をしているのだろう?」「他に方法なんか無いのに一生この状態で生きて行くのか?」自問自答した結果「また漢方薬を貰って治したい」と思い直し、松本先生に電話した時、今でも忘れません。めちゃめちゃに怒られました。「オマエ本気でないんやったら止めとけ」凄い剣幕でした。しかし、凄く有難く嬉しかったのを覚えています。今迄のお医者さんにも治療で怒られる事はありましたが、そのお医者さん達は皆、自分の都合自分に迷惑がかかるとか、自分の点数に関わるとか、恐らく自分の利益の為に怒っている様にしか見えませんでした。しかし松本先生は、絶対的な信念と裏付けを持って私の為に怒ってくれました。
その時から「何としても自分を実験台にして絶対に治してやる。後に続く人の為にも、一生懸命やってらっしゃる先生の為にも、世の中で自分みたいに病気で困っている人の為にも」と。それからは頑張って毎日コツコツとマイペースで続けて行く様にしました。けれども、漢方薬の飲み方がまちまちだったり、自分の仕事柄やや偏った生活習慣が災いしてか、中々ベストの状態になりませんでしたが、確実に良くなっては行ったのでした。それは、下痢の回数や出血量に表れていました。
ある日、また漢方薬を貰うために先生に電話した時に、先生が「調子はどないや?」私が「いや、未だちょっと症状が残ってまして・・」先生「そやけど、半分以上は治ってるやろ?」私「???」・・・また凄いと思いました。昔聞いた事があるコップの水の話を皆さんご存知でしょうか?また目からウロコが落ちました。…コップに水が半分入っていたら『コップに水が半分しかない』と思う人間と『コップには未だ水が半分も入っている』と思う人間の差の話です。そうです、私は感謝の気持ちが一つも無かったのです。あの忌々しい入退院の日々は、コップに水が一滴も入っていなかった筈なのに、今松本医院の治療のお陰で、コップに水が半分も溜まっている事に全く感謝が無かったのです。それからが早かった。その事に気付かされたのが去年(現在2012年1月)の7月。それからは更に劇的に良くなっていきました。
松本医院にかかる数年前までは、一旧に十数回の血の下痢と腹痛で世の中を悲観していた私が、今では一日に1~2回程度の普通便、食事も美味しく食べられるので体重も増え、結果、集中力も生まれ精力的に物事をこなす事が出来、仕事もプライベートも充実しつつあります。そして最後に一番言いたい事は、仕事もスポーツも勉強も、そして病気も物事全て皆同じだという事です。全て血のにじむ様な自分の努力と、同時に周りへの感謝の気持ち、そこから受ける周りからのサポート等がなければ得ることが出来ないという事を、松本先生とその治療から学ばせて貰う事が出来ました。
治療も自分自身の器もまだまだなので、色んな事の『真理』を学んで病気はもとより、これからの自分の人生に活かしていきたいと思っております。ありがとうございました。

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● 「心と体(リウマチさん、ありがとう)」 安江 幸代 56歳
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(2人娘はアトピっ子。「絶対に治る!」という主治医のコトバを信じ、ステロイドや抗アレルギー剤を使わず、漢方治療をはじめました・・・)
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アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。
患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。
アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。
それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。
漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。
市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。
松本医院の「なぜ」
病気とは何でしょうか?
病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。
それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。
アレルギーとは何でしょうか?
アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。
膠原病とは何でしょうか?
膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。
アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?
敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。
リウマチの患者さんの家族の皆様に
他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。
そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。
また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。