
「私のリウマチ」
国分好子 62歳 2011年6月11日
「2007年」
2007年5月にリウマチという診断が出されて初めてリウマチ薬のアザルフィジンをのみ始めました。しかし振り返ってみると、リウマチと思われる症状は私の場合20年位かけて色々な形で(五十肩、顎関節症、足首の腫れ、足親指や小指の付け根の腫れ、膝に水が溜まる、バネ指は親指から始まって小指へ移動していきました)表れては消え、それらは一年位で何となく治まったようにみえました。それは新しく痛い所が出現するとそれまでの痛かった所が二番手に回って何となく紛れてしまったようです。体のどこかここか常に痛い所があっても、体がだる重くて元気がでなくても、もう年なんだから、とか湿布を貼っていればそのうち何とかなるさと思いながら暮らしていました。
そんな繰り返しの毎日を過ごしているうちに、楽しみにしていた山歩きやスキーはだんだん出来なくなっていきました。足首の腫れと痛みでスキー靴どころか普段の靴さえ履けなくなりました。それでも足を引きずり、痛い所をかばいながらも普段の生活を維持しようと必死でした。しかしある日右足がさらに腫れ上がり、かかとも痛くて床に足を着けることも出来ません。さらに左肩と腕の痛みで手が上がらなくなり、まずは整形外科にかかりました。その時は車のシフトレバーを握ることも出来ず、振り向くことも出来なくなり車の運転をあきらめました。パート勤めも辞めました。 何でこんなことになってしまったんだろう?すぐに誰かに何とかしてもらいたい、何で?何で?と混乱し不安で頭はパニックでした。
心配する家族の勧めでリウマチの専門医として地元で評判のクリニックに予約を入れて一ヶ月待って診察を受けました。予約制なのに待合室には車椅子の人や付き添いの人やらたくさんの人が待っていて、どんな名医なんだろうと期待しました。
その医師は優しく話をきいてくれて整形外科で出されたアザルフィジンを引き続きのみながら「詳しく調べてみましょう」と検査の日時を言っただけで何もしてくれませんでした。専門医なんだからすぐに何とかしてくれると思っていたので拍子抜けしました。
が後になって考えれば、すぐにステロイドを使う医師でなかったことが救いでした。 今思えば、あきれるほど自分の病気に無知であったことを痛感し、また人任せでした。
当時の私は病気になったら病院に行き薬で治してもらう、ということに少しも疑いを持つこともなく生きてきました。しかもその効果がすぐに分かることを当たり前のように思って病院にかかっていました。すべてのことに早く早くと、なぜかとてもせっかちでした。そんな自分だからこそリウマチが出てきて私にそのままでいいのかい?と問いかけてくれていたことに気がつきませんでした。
夫が買ってきてくれたリウマチの本を読んでみると、治療の項目にリウマチの原因が分からない現在、根本的な治療法はありません、と書いてありました。つまり「治らない」ということですよね、ショックでした。治らない病気ならこのまま動けない体になっていってしまうのだろか、とつかみどころのない不安と絶望感でどうしたらいいのか、訳が分からないまま、処方されたメトレートとアザルフィジンをのんでいました。
「2008年」
処方された薬をのみながら、良くなっているという感触がないまま一進一退を繰り返しながら一年が過ぎました。クリニックの医師は薬の種類、その量、レントゲン、エコー検査などを受けるかどうかも私に訊いてきました。またある時は軽い感じで治験を勧められたこともありました。その時は受けませんでしたが、後になってぞっとしました。私の手指の第二関節と第一関節の何本かがブス色に腫れあがった時は痛くて辛いのに 「へぇーこれはすごいね、第二関節はリウマチだけどこっちの方はただの関節炎だね」 とおもしろそうに写真に撮られました。やっぱり医者にとって患者はモルモットなのか、と思いました。リウマチの専門医として評判をとっている医師の姿に疑問を感じました。クリニックで診察を受ける度に感じる手応えのなさには不安が増すばかり、薬で治せない病気なのにいつまで続けるんだろうと自分に問いかけしながらも、止めてどうするかの答えも見つからないまま症状の辛さに振り回されていて、選択肢などありませんでした。
「2009年」
追い討ちをかけるように、この年の4月に大腸がんの手術を受けることになりました。手術の前後にはリウマチ薬を休止しましたが、その時のリウマチの具合がどうだったかを覚えていません。 手術後、抗がん剤の投与も受けることになり、その副作用で生きた心地がしない辛い日々の全行程6ヶ月のうち5ヶ月目あたりから血液検査での肝臓の数値がはね上がったために抗がん剤の投与を続けられなくなり途中で中止しました。当時は週に一度点滴を受けるのに通院していました。その副作用に耐えることにとても嫌悪感があり、体はそれをはね返そうとする力があるのに無理やりねじ伏せられている感覚でした。明日は病院に行く日だと思うだけで吐き気がしました。いやでいやでたまらないその気持ちが自分の肝臓で拒否の意を表明したのかな、と感じました。
結果、副作用から開放され、抗がん剤で徹底的に免疫を抑えたせいか、何とリウマチの症状も軽くなりその時は、治った!と思うくらいに楽になりました。実際にこの年の冬には何度もスキーを楽しめましたし、あのリウマチの辛さは一体どこへいったの?というくらいでした。しかし、このままで済むはずはないぞ、と思いながらも一息ついた気がしました。
「2010年」
リウマチ薬を再開してもいい時期がきても、のみたくないし、のまないでいたらどうなるんだろうと過ごしているうちに案の定、抗がん剤を終えて半年が過ぎる頃、私のリウマチはパワーアップして再登場してきました。今度は全身に一度に症状が出てこれまでになく辛くて、じっと耐えることに疲れ果てていきました。左膝は続けて2回水を抜くことになりました。 その時医師に 「ステロイドを使ってこの辛い状況から一度、抜け出しましょう」 と言われた時は迷うことなく 「お願いします」 と返事をしていました。 膝の水を抜いた時にケナコルトを注射しました。すると効果テキメンで翌日には楽になっていました。驚きと共にやはりこれは麻薬である、と悟りました。 しかし今回のステロイドは自分で決めたことです。医者の姿勢には失望していたけれど、究極の辛い状況に陥ればやっぱりその麻薬に頼ってしまう弱い心の自分を思うと医者だけを責めることはできない、と思いました。そして自分の病気にどう向き合っていくのかを考えることこそが大切なことなんだ、と思いました。 しかし、リウマチの本に書いてあったようにどの薬もいずれ効かなくなることが分かっているのに、それをのみ続けることしかない違和感と不安で途方にくれていた時に、まさに天の助けか私に松本医院の存在を知らせてくれる人にめぐり合うことができたのです。
ステロイドを使わずにリウマチを治す医者がいる、というのです。「え!本当に?治せるものなの?どうやって?」と一刻も早く知りたくて家に帰ってすぐにネットで松本医院を検索しました。 まずは松本先生の論文「リウマチの完治の理論と証拠」をはやる気持ちで読みました。何度も読むうちにリウマチの抗体であるIgGがIgEにクラススイッチされてアトピーとなり、自然後天的免疫寛容を起こすことにより治すことができる。そのためには正しい免疫の働きを抑制したり止めてはならない。と書いてありました。専門的な言葉や医学用語はよく分かりませんがそれでも、リウマチを治す道筋は見えました。「これだ!」という直感がありました。
すぐに松本先生に会いに行かなくちゃ、と思いましたが松本医院は高槻市にあり、私は遠く北海道の人間です。通えるかとか、続けられるかとか何も考えずにとにかく一度先生にお目にかかりたい一心で、藁にもすがる思いで夫と共に、10月1日に受診することが出来ました。 その翌日からは懸命に、指示通りに毎朝煎じ作りをすること、薬草のお風呂に入ること、鍼灸に通うこと、その何もかもが初めてづくしのことに戸惑いながらも、免疫を上げてリウマチを完治させるための第一歩を踏み出しました。
松本先生のおかげで、東洋医学にふれていくうちに自分はどうして病気になったのか、体は部品の寄せ集めではなくそのすべてが深く関わりながら、一体となって働いてくれていること、自然治癒力は誰もが持っているものでその免疫を抑えることなく高めていくことにより、病気を治す。つまりそれは先生のお言葉の 「治らない病気はない」 「自分の正しい免疫が病気を治す」 という考え方に 「なぁーんだ、そうか、そういうことだったのか」 とまるで初めて知ったように新鮮で単純明快でパズルが解けたように納得のいくものでした。そのことが分かった時自分の病気の正体が見えました。こんなにも私の免疫は頑張っていてくれていたんだ、それに気づかずにいてごめんね、と言い又自分の体を初めて愛しく感じました。そして心が平らかになりました。
今までの漠然とした様々な疑問や不安な気持ちは一体どこからきたのだろうか?と考えたときに、西洋医学では症状にだけ対応するが、病気になった根本の部分には触れないというか興味を示さないのだ、それ故に病気を治すことが出来ないのだ、と思い至りました。 これまでに気づかずに過ごしてしまった多くの時間を残念に思います。
「2011年」
現在の体調は全体的には8割方の回復を感じています。手のほうは起床時のこわばりなどあり、すぐには思うように動きませんが、ゆっくりと煎じの用意をしたり、朝食をこしらえているうちに普通の家事はこなせるようになります。自転車で遠くのスーパーにも行けます。調子の良い時は正座も出来るようになりました。仕方なくリウマチ薬をのみながら出口を探して、光を求めて手探りで歩いていたあの日々を思うたびに、夢のようで 「今日のこの日が信じられないね!」 「松本先生のおかげだね!」 と夫と共に心から感謝し、喜び合っています。
たくさんの方々の手記を読ませていただきました。症状や回復への道のりは様々で、どの方も読んでいて胸が痛くなるような、大変な困難にもめげず、松本先生を信じて取り組んでこられ、そして乗り越えてこられた末の喜びの言葉には心から共感し、私もがんばろうとの思いを強くします。 私の場合、松本理論に出会ってからわずか八ヶ月でここまで良くなりました。それはステロイドで最悪の状態になる前に、早い段階で松本先生に出会えた幸運であった、と思います。 松本理論を信じる、自分の免疫を信じる、自分が作った病気は自分にしか治せないんだという気の持ち方は毎日の励みになります。しかし体調の波にもまれながら調子が良い時はただうれしくて、悪い時は自分の免疫ががんばっているんだな、と思って無理をせずに余計な心配はしません。 松本先生がいつもおっしゃる 「リウマチは100%治るで!」 「自分の免疫が治すんや!」のお言葉にいつも励まされ、安心します。
アトピーは最初は主に下半身にたくさん出ました。それが調子の波を繰り返しながら数ヶ月経つうちにだんだん治まっていくとともに足の状態が良くなっていることに気がつきました。最近はそれが上半身に移っています。お灸は痛い所はどこでもいいからやりなさい、というので手が届くかぎりやっています。背中は鍼灸師さんにやってもらっています。薬草風呂はお湯が柔らかくて本当に気持ち良くいつまでも入っていられそうです。朝は煎じ作りから始まり、昼間はお灸をし、夜には薬草風呂とすっかり生活習慣になりました。
しかしまだ回復途上であるのにこれを読んでいただくのは時期尚早かと思いましたが、先生のおかげでここまでこられたことを心から感謝する気持ちと、これまでの心と体の軌跡を喜びをもってお伝えしたくて書かせていただきました。
松本先生、本当にありがとうございました。そして完治を報告できるその日までこれからも宜しくお願いいたします。
注目の手記・ブログ
● 「心と体(リウマチさん、ありがとう)」 安江 幸代 56歳
●かあさんくまさんの松本医院のアトピー治療ブログ
(2人娘はアトピっ子。「絶対に治る!」という主治医のコトバを信じ、ステロイドや抗アレルギー剤を使わず、漢方治療をはじめました・・・)
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アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。
患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。
アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。
それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。
漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。
市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。
松本医院の「なぜ」
病気とは何でしょうか?
病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。
それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。
アレルギーとは何でしょうか?
アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。
膠原病とは何でしょうか?
膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。
アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?
敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。
リウマチの患者さんの家族の皆様に
他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。
そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。
また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。